アサヒ死ンブン

死骸ブログ

「私と仕事とスマホ、どれが大事なの!?」という命題に対する最終回答

「私と仕事、どっちが大事なの!?」

という命題に対しては、「おまえが大事だよ」と言いながら仕事を続けるか、「仕事が大事だよ」と言いながら相手を抱きしめるか、このどちらかが無難な解決であることは自明のことであります。たぶんヘーゲルもそんな感じで問題を解決してきたんだ。『精神現象学』も『歴史哲学講義』も読んだことないけどな。*1

しかし、この命題に変数をたったひとつ加わることで、問題は途端に複雑化する。

「私と仕事とスマホ、どれが大事なの!?」

これでもう回答に対する難易度マシマシであることがおわかりいただけるであろう。先のような単純な複合化ができない。「おまえが大事だよ」と言いつつ仕事するフリをしながらスマホをさわるか、スマホで「おまえが大事だよ」とLINEしながら仕事するか、うーん、うーん、矛盾なき回答は限りなく難しく、無理に両立させることで相手への誠意や信頼感は急速に失われていく。慎重な回答が必要だ。10秒黙りこくって熟考のち、「スマホかな……」と答えてごらんなさい。七割がた、「そうだよね」の返事がくることと思う。三割は血みどろのケンカだろうな。

実際、この三者択一を行ったらどうなのだろうか?

人間はまだ仕事やスマホのような無機質なものよりも、他者へ向ける情愛を持っているはずだ。あるいは、自己実現のために仕事へ向ける熱情をまだ持っているはずだ。そう信じたい気持ちもヤマヤマでしょう。この命題に対する有効な最終回答はどれであろうか、大衆の意識を調査するべく、全国的にアンケートを取ってみた。このアンケート結果をもとに、世相を読み解いていこうと思う。

ご笑覧あれ虚構の現実、「おまえが大事だよ」「仕事が大事だよ」を選んだ割合がそれぞれわずか4%にとどまっていることから、他者や仕事へ向ける熱意が冷めきっていることは明確に示されている。ポストモダン以降、人々の多様な価値観・個人主義を認める社会風潮が広まっていったが、多様な自己のあり方が認められた一方で、他者へ向ける思いが大幅に失われている。みんな薄々気づいていることかもしれないが、このアンケート結果には残酷な結果が如実に反映されているのだ。

もはや他者への期待が希薄になり、また、希望の見えない労働市場においてクッソマジメにバカみたいな仕事に精を出すよりもフェイト・グランドオーダーのイベント周回して素材のドロップを狙うことの生産性のほうが大きいことは大きな事実だもんね。

取って代わったのがスマホ、魔法の板だ。末法を迎えたこの世の衆生にとってこの板キレが救いであり、この板キレにすがっている。不用意い開く者に災いあれ。不用意に暴く者に絶望あれ。神の下賜した契約の箱とも言えるスマートホーンを人々は軽々しくも開き、インターネットとツイッターに地獄を再生産させ続け、この世が地獄であることを自ら証明している。 

ではこの世に救いはないのでしょうか?

いや、ある。最後の選択肢「ルーザーが大事だよ」がスマホと同率首位46%の票を獲得していることに注目すべきであろう。これは人々の意識がスマホに支配されつつも、スマホに抵抗したいという気持ちも同じ程度に持っていること。そしてその抵抗の気持ちをルーザーに込めている。頼りたく思っている。すなわちルーザーに「神」的なものを見出しているということであろう。
ジャン・リオタールが『ポストモダンの条件』において提唱した「大きな物語」の終焉において、人々には依拠する上位概念が失われたと述べた。*2大きな物語」の失われた漠として確たるものの感じられないこの現代社会で、かつての「大きな物語」にあたるものをルーザーに求めているということだろう(^ω^ ≡ ^ω^)おっおっ

かつての経済大国としての栄華と誇りを失った我が国において、また、世界に目を向ければテロリズムにおびえる国際社会であり、倒すべき"悪"の存在も見いだせない現代に特有の症候だといえる。生き苦しい現代社会に生きる人々の"ルーザー観"なのだろう。包むべきオブラート無き時代に見出した光明として、我々を包む最後の薄膜をルーザーと重ねている。たとえ0.01ミリの薄膜であっても、そんなルーザーに希望を求めているのだ。なんだか締めがコンドームの宣伝みたいになっちゃったな。

ところで、このブログを始めてからツイッターのフォロワーが減り続けている気がするんだけど、どうしてなんだろう。これって神をも恐れぬ所業じゃない?泣きそうです。お金ください。助けてください。

*1:現実問題を言えば、このような二者一択を突き付けられた時点でなにかしらふたりの関係には問題があると考えられますよね。仕事に精を出しすぎておそれがあるので、字義的にどちらを選択するのかを考えるのでなく、なぜこんなことを言われたのだろうか、最近働きすぎなのではないかを顧みるほうが重要なことは言うまでもありません。あくまでネタ記事として読んでね。

*2:ごめんな実はポストモダンの条件』読んでないんだ