アサヒ死ンブン

死骸ブログ

せをはやみ、いわにせかせか、たきがわがわ、わかれわかれて、あわあわあわあわ

ひさしぶりに会ったともだちや知り合いやの数人から異口同音に「そろそろ彼女できた?!」って聞かれたが、「一生むりでちゅ😅」としか返答のしようがねンだよな。「そろそろ」ってなんなんだ。僕は常に世界で一番色恋から遠い極地にいる人間だぞ?いったいここはどこなんだ?これは怒られそうだからくちに出しては言わないが、ひとより多くフェミニズム社会学的な理論や小説を読んで、多くの問題について理解を深めることはあるし、ナショナリズムジェンダーの関わりなんかは女の側だけの問題ではないこともよくわかっているが、運動にはコミットできないし共闘もできない。どうしても根源的なミソジニーがあるというか、でも、ホモソーシャルな男社会の気持ち悪さもいやというほどわかるし、さらにその一方で多くの人間がそんなこと気にせず(知らないうちに搾取されて)生きているんだなってのも見てきた。いろいろ考えていると、僕はどうにも人間みんな嫌いな気もするので、よのなかなんとかしたいなという気持ちがやっぱ持てないな。個人レベルで人間との関わりが希薄だから、よのなかのことを考えられないのかも。

これは「完全にダメ」で、テン年代が終わりトゥエンティ年代が始まるいまこそ気持ちを改めないといけないなと思った。そこで大切なのは、前にも同じことを書いたりひとにしゃべったりしてることだけど、「良い読者」にならなきゃいけない。読者というのは、「観客」とも言い換えられると思う。どういうことかというと、良い読者・観客というのは、読んだものの内容を理解している・観ているもののルールを理解しているという前提で、空気が読めるということだと思うのだ。空気というのは、言い換えうるのは行間であり文脈であり雰囲気、書かれていないこと、言及されていないこと。そういったものの包括的な、なんとなく、な、すべて。空気を読む、という言葉はなにかと否定的なニュアンスで使われがちだけど、うまく生きていくうえで必要な技術だよ。まぁ、僕はまぁまぁうまく空気読めてると思っていたのに人生いっこもうまくいっていないが。人生オワオワリ。でも、せめて、良い読者に。

あと、逆に良くない読者のことも考えなきゃいけないな。良くない読者はわりと簡単で、ものごとやコンテンツ、人間関係、あらゆることにダメ出しばっかする奴はまずダメで、減点方式でしか語れない人間はダメ、ダメダメのダメで、そういう人間は2020年を迎える前に全滅するべきである。即刻死すべし。七孔噴血、撒き死ねい。