メーフ・マドー

Me If Mad Oh!冥府魔道!おまえたちのことが大嫌いになったよ

ケンカ、できるんだろう?

ガキのケンカには二種類あるね。*1


ひとつは、自分の気に食わないものに噛み付くようなもの。
ケンカの範囲に学校や自分の親や恋人の親への反抗ってのも含めたらけっこう覚え があるひと多いんじゃない。自分の正しさが理解されない、分からせてやりたい思いをぶつけるようなもの。 長じてから青くせえことしちまったと思うようなこと、あるでしょう。
こういのは大人になるにつれて「恥ずかしいこと」 と認識されるようになって、 多くの人はやらないようになっていくんだけど、僕はどうにもムリ。やめられない。オフ会で気に入らない奴*2SNSで繋がりお義理でメッセージを送らざるをえないとき「よろ死くお願いします!」のように"し"をぜんぶ"死" に置換して送ってしまう。 ツイッターで気に入らない奴の動画違法アップロードツイートを引用リツイート煽りして「 違法アップロードやめたほうがいいと思います!」 って言ってしまう。僕は個人的に意趣のあるやつにしかこんなことしないけれど、だれにでも絡むようになったらクレーマーだな。かっこよく言えば"狂犬"だ。*3
まぁこんなガキっぽいのでも、 堂々となされる一対一のストリート・ファイト、あるいは一が強大なる多の軍勢に立ち向かう古典の軍記物語*4 のようなものならやっても別によくない? って気持ちは大人になってからも消えない。ハタ迷惑かな。いまでもツイッターで嫌いなアイコーカを見つかたら晒したくなるんだけど、必死で我慢しているよ。大人だかんね!


ガキのケンカ二種類のうちのふたつめは、多対一で多が一を囲んでボコるやつ。
このタイプは大人になってもなくならない。むしろ洗練されてくる。被虐さるる側が大人の場合は逃げられるチャンスがあるだけ子供のころよりはマシ、程度のもの。

 

ケンカの理由のいかんを問わず*5醜いので即刻やめたほうがいいと思いま~~~~~す!

*1:細分化すればもっと種別あるかもしれない

*2:女絡みでゴタゴタした奴とか特に

*3:かっこいいすよね?"狂犬"

*4:僕は古典の軍記物語をろくに読んでいない

*5:北朝鮮にもアメリカにも民主カンプチアにも"正義" があることを思えば、理由の正当性を問うことに意味はないですね

衣食住

もう衣食住のすべてが終わっているので、人生が終わっていると言っていいと思うんだよな。食はラーメン四割つけ麺四割インスタント食品二割、服は半年に一度しか買わない。部屋もダメ。比喩抜きで女を自室に呼べない。ゴミはほとんどインスタントなコンビニごはんのものとネコのウンチくらいなので定期的に捨てりゃいいけど、増えていくモノがどうしようもないよな。置き場所がないので散乱してるわけだ。山ほど本があるのに本棚もない。部屋のあちこちに積んでいるわけだが、先日、部屋の隅の一区画、"バベルの塔"と呼んでいる積み本エリアが、とうとう支えている箱が重さで潰れたことにより、200冊ばかりの本が崩れ落ちてきた。「終わりの始まり」かと思ったよ。

たまに火災報知器の点検だとか排水管の清掃だとかで室内に業者がやってくるときだけ大掃除している。文学者イコール部屋が汚いという偏見*1があるから、いつも「ぼく、文学者なんで〜」という顔をすることで乗り切っている。実は文学者じゃないけどな。たかだか10分の排水管清掃でも、知らない人が部屋にガヤガヤ入って来ると猫が怯えてしまう。ケージにしまった中から心配そうな細い声でニャーン…と鳴いて、終わって人が出て行ってから開放するとサササッとベッドの下に逃げ隠れてしまう。僕と二人のときは横柄な態度を取る猫ちゃんだけど、未知のものに対しては怖がりなんだな。

*1:文学者の部屋を見たことはない

騙り

"語り"ができるようになりたい、と思っていたが、よく考えると求めているのは語りではなく"騙り"の能力だね。
学生時代からもう十年以上ずっとなんですけど、飲み会なんかで知らない人に話しかけることができないし、黙りこくってることが多い。そのうえたまにしゃべったかと思うと場が白けるようなことついつい言っちゃうんだよね。なんでこんな風になっちまうかっつうと、自分の話したいことしか話さないからなんだな。悪い癖だよね。あんま面白くないけど場つなぎがてらしゃべっとくか〜みたいなことができないんだよ。だから合コン街コン相席屋すべて敗北する。「どこ住み〜?」とかきけないんだよ。「◯◯だよ」って答えられても九割がた「そっすか」としか返せないので。内容のないこと言えないんだな、「これをきくことになんの意味があるだろう?」とか考えちゃうので。先にテキトーなこと言っといて、会話の展開とともに内容を付加していく、麻雀でいう"先付け"のようなことを心がけてみようか。あたま空っぽのほうが夢詰め込める、会話の中身空っぽのほうが案外話題を詰め込めるものかもしれない。

ドストエフスキーの長編小説『悪霊』に登場する革命グループの実行委員長的なキャラ、ピョートル・ヴェルホヴェンスキーというヤツがいるんですけど、こいつが軽口をぺらぺらしゃべる。作中では"ビーズをころがすように"しゃべると形容されている。こんなふうに芝居がかったようなことを臆面もなくしゃべり散らせるようになりてえなァ~~~って思いながら『悪霊』本編と関連評論を読んでいるところなんだけど。
討論動画とか見ればいいすかね。話しの切り出し方とか反論の仕方を学べそうだ。まぁこんなスキルを鍛えたところで合コンなどでは不興を買いそうだけど。ひとにナメられるくらいなら反論のひとつでもできたほうがいいよな。

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最後のこれは余談、上の写真の本はまだちょっとしか読んでないけど、光文社新書の「ドストエフスキー『悪霊』の衝撃」面白かったですよ。
光文社古典新訳版の翻訳者・亀山郁夫とロシアのドストエフスキー研究者リュドミラ・サラスキナによる『悪霊』についての対談、質疑応答、論考が収録されている。
中でも「なぜスタヴローギンはアイスランドへいったか?」の論考が面白かったな。ドストエフスキーの時代にジュール・ヴェルヌの『地底旅行』の内容の是非を巡って論争があったこと、『悪霊』のなかに『地底旅行』らしき本の描写があることから、ドストエフスキーが「アイスランド行き」に意味を込めていただろう、ということが考察されているのさ。これを知らなきゃふーんスタヴローギンはアイスランドにも行ったんだねーくらいで読み流すとこだね。

面白半分

むかしから「面白半分」って言葉が大好きなんだけど、この言葉のどこに面白さを感じるかってのが、「(厳密な割合などないとわかりつつも)"面白"じゃないほうのもう半分はなんなんだろう?」って考える余地があるところだと思うんですよね。

小学校のとき、悪さをしたことがバレたヤツが学級会で吊るしあげられたじゃないですか。そんなときのよくある言い訳で「面白半分でやりました…」っての、おまえ、面白半分と、もう半分はどんな気持ちだったんだよって突っ込みたくてたまらなかったね。

明治生まれのジャーナリストの宮武外骨が『面白半分』って雑誌を作っていて、この人は本当にふざけたことも真面目なこともいろいろ書いていて、誌名には面白要素を忘れずにやっていこうという気持ちを込めていたんだろうと勝手に思っている。戦後には吉行淳之介野坂昭如が編集長をやっていた『面白半分』てのもあったらしく、永井荷風作と言われる春本『四畳半襖の下張』を全文掲載してワイセツだってことで裁判沙汰になった雑誌がここなんだな。戦後のほうの『面白半分』に携わった人々ついて書いた新書を持っていたはずだけれどまだ読んでいないな。

ものごとをなにもかも全力でやってたらしんどいよ、生きるのがつらくなってくる。なにごとも面白半分でやればいいと思う。面白半分・真剣半分、面白半分・ガチキレ半分、面白半分・諦め半分、面白半分・愛情半分。感情の割合は都度都度考えればいいと思うけど、なにかを真剣にやるにしても、なにかの敗戦処理をしなければならないにしても、半分くらいは"面白"と思えるくらいの余裕を持って行いたいですよ。仕事なんかまさにそれじゃないですかね。ツイッターも面白半分でやんなきゃ精神が蝕まれますよ。ちなみに僕は嫌いな奴をツイッターで晒し引用リツーイトするとき、面白半分・憎しみ半分の割合でブレンデッドしてやってますね。

親子①

ずいぶん前にツイッターのRTで回ってきたんだったかな、探しても見つからないので内容は定かではないが、こんな話を読んだ覚えがあるのだけど。

小学生くらいの子供が捨て猫を拾ってきて大事に育てるから飼わせてくれと訴えたところ、親が、生き物を愛でるというのは優しく撫でさすることではなく育て続けることに責任を持つということなんや、と強く諭しましたとさ。

生命を背負うとは厳しさを伴うものなんだよ~という教訓めいた意図が見え透いていて、はいはいおっしゃる通りですねと悪態つきたくなる、こころから不愉快な話だなぁという感想だったね。そんなことを言われたほうの子供はいったいどう思うだろうか?
オレだってガキやのうて働いて金を稼げてたら猫くらい自分で面倒みれるわ、おまえのような猫一匹の世話すらできない甲斐性のない大人にはなりたくない。
こんな風に思うんじゃないですかね。そう思ったところで、猫をかくまった弱みがあるばかり強くも言い返せないだろう。子供の無力さを描いた寓話だとしか思えないですね。
生命について知ったようなこと言わないで「経済的・精神的余裕がないため生き物はダメです」あるいは「猫キライなんでダメです」と言えばいいものを。

道徳じみた話がイヤだというわけでなく、子供をナメたような話が嫌いなんだな。偉そうに生命の重さだとか説いている者がまったく信用ならない。正しく飼えるかどうかは唯物論的に判断してくれや。

 

金がない

金がない。いやまったくないわけじゃない、借金もないし、細々と生きていくだけなら直ちに影響はないけれど、そんな貧乏くさい話がしたいわけではない。いま財布の中身がいくらだったかなって常にあたまのなかで計算を強いられ、千円単位で行動が掣肘さるる、そんな生活が嫌で嫌で仕方がないって話をするのだよ。
どうやって稼ぐか殖やすか掠め取るかといった前向きな考えを生み出す生産的なことはここでは一切考えないし、金を使わない生活こそが真に人間的に正しい生き方なのだといった価値転倒のルサンチマンのようなことも書かない。ただただ金がなくてむかつく、ということ、これのみ。
あっ金がないのはムカつくな、と感じた瞬間はほかでもない、自分より十も歳が下の女に飲みに行きませんかと誘われたときに「お金がないので無理です」と答えざるをえなかったあの屈辱感、もうこいつには一生連絡せんとこと思うくらいイライラしたし、こんなことでイライラするのは生涯において初めてのことであった。
どこかで金を借りればよかったとか、その女は割り勘で安いお店でいいと言っていたとか、そういうことではない。そういう外部的な要素をすべて慮外にして生きて行きたいのに、それが叶わなくなったのが嫌だということなのだね。節約すればいいじゃん、というのもまったく見当はずれ。節約したくないのに金がない、それがムカつく、ということ。

読書はお金をかけずに教養の得られるよい趣味です、みたいなことが謳われる風潮が本当に腹がたつよ。そんなものはゴマカシで、読書なんて貧乏人の趣味だろ。僕はほかにできることがないから、金がないからバカみたいに毎日読んでるんだ。クルマ持って毎晩首都高ぶっ飛ばしてるほうがいいに決まってんだろうが。有り余るほど金があったら賭博だって女遊びだってしとるわ。金がなきゃ大した遊びができない、だから遊ばないというだけのことだね。金がないばかりにこんなゴミみたいな人生なのかなって思う一方で、良くも悪くも"原点を割れない"生き方をしてきたので、一丁借金して勝負に出るか!みたいなことも考えられません。勝負できる科目がないの。なにをして生きてきたんだろうな。いままでの一切がムダだった気がしてならないよ。金がないからこんなにイライラするんだろうな。「金は鋳造された自由である」ってドストエフスキーが書いてたらしいけど、おまえ借金しまくってルーレット賭博しまくって貧困にあえいどったやろ、なにゆうとんねん、って感じですね。そのうち『賭博者』は読みますよ。金がなくてイラついてる人間、描かれているのだろうかね。ほんとにいまイライラしてるので一銭にもならないことはなにもしたくないですね。

冒頭に書いたとおりこれは金がなくてムカつくということを書き散らしただけの日記なので、誰のご注進お説教も聞く耳もちませんが、金を恵んでくれるというお話ならばきいてやってもよいです。よこせよ。坊主めくりみたいに倒した相手の財産総取りできる世界だった勝負に出ていたかもしれないが、ヒョロいので返り討ちにされていた可能性が高かったな。空想するのに金はかからないが、僕は空想ではなく現実で金に飽かせて遊びたい。

ブロック

ずいぶん前のことすぎて定かなる記憶はないのだけど、かつて「ツイッターの本質は突き詰めれば女との出会いとのツールだ」といったことを、むろん冗談半分でツイートしたことがあり、それを読んだ一部の不興を買ってしまったようであることをたまたま耳にして、その不興に感じ怒ったひとはクソだがバカがつく真面目だったのだろう、律儀に僕のことをブロックしたそうだ。これについては弁解させてほしい部分もたくさんあって、要するにツイッターで行われる議論にイヤケが刺したのが原因なのさ。政治でも倫理でも常識でも学校でも働き方でもなんでもよろしい、言い争いしてん見てたら嫌な気持ちになりませんかね。僕はなるんだよ。他人のリツイートとかいいねとかで回ってきたらみえちゃうじゃない。けんけんがくがくの議論が嫌いでいやになるんだよ。僕はそういうのしょっちゅうブロックしているよ。考えたくないので。バカみたいな議題でバカみたいなことを言い争っているのを見てそういうの一切がイヤになって、SNSの本義は議論でなく他者とのあたたかい交流ではあるまいか?アカウントの向こうに人間が存在することを意識した上で関係のつながりを求めることを再考せねばなるまい?みたいな論理を、多少のお笑い要素を交えてツイートしようと思った結果、冒頭に至るわけだね。

 

ごくまれに、一度も絡んだこともない知らない女の子にブロックされているのを発見して、「いったいどのツイートが気に障ったのかなぁ?」と悩むことがあるのだけど、考えてしかたのないことで、もしかしたら僕のことを好きになりそうになったので自制のためにあえて距離を取る意味でブロックした可能性もある。その可能性が高い。さらにこれもまた「どうせ抱けない女だし別にいっか」と思えば気持ちはサッと切り替えられるよね。これは強がりとかでもツイッターに限ったことでもなく、かつてケンカ別れした相手とかについても言えるでしょう。

 

僕もまぁプロフィールに「いたって普通の日本人です」とか書いてる奴は見るより先にブロックするので、世の人々に対してはいろいろお互いサマなところがあるのだろう。

 

お死まい。