メーフ・マドー

Me If Mad Oh!冥府魔道!おまえたちのことが大嫌いになったよ

【読んだ本メモ】サイモン・シン『フェルマーの最終定理』(新潮文庫 青木薫訳)

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17世紀に数学者フェルマーによって謎かけのように残された数学の難問を証明した数学者たちの闘いを描いたノンフィクション。

問題が生まれて証明に至るまでの数学史、数学者たちのエピソード、発見・証明されてきた数学の深奥を丁寧に描きつつ読みやすくまとめている。標題のフェルマーの最終定理だけでなく、数学そのものへの興味がいろいろ沸き立ってくる。ページ数が多くてぶ厚いようだけどもミステリー小説を読む感覚で読み進められるもんだから、ページをめくる手が止まらないってヤツだったな。頼んだコーヒーを半分も飲まずに喫茶店の閉店時間まで読みふけっていた。まさか数学がテーマの本がここまで刺さるとは思わなかった。高校の数学ですらさっぱりわかってなかったゴミクズの僕にでもたいへんわかりやすかったです。無理数とか虚数とかいったいなんだったんだよ!!って気持ちをずっと抱いていたが、これを読んだだけであ〜ナルホドねって思えた。まぁ、なんとなくわかった気になっただけかもしれないけど、それでもナルホドと思えたのは読ませるチカラがスゴイのだな、これは。文系とか理系とか垣根なく楽しめる一冊だよ。

【読んだ本メモ】村上龍『希望の国のエクソダス』(文春文庫)

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国としての未来への先行きが不安な日本で、ある事件をきっかけとして突如全国の中学生が集団不登校になる、という話。中学生たちは大人の思いもよらない手段で自分たちなりのベストな社会を作り出していく。取り残された大人たちの視点で読むと、荒唐無稽な作り話だと簡単には笑い飛ばせない。世代間の感覚のズレの描き方が見事で物語の運び方も上手くって、この先どうなるのかのワクワク感が常に高く、どんどん先を読みたくなる。
20年弱前の2000年ごろという時代設定だけど、いま読んでも刺さるところがたくさんあると思う。教育、独立、危機感、希望、生きることへの危機意識、などなど、いろいろな語り口のできるキーワードが散りばめられているので、読書会をしても盛り上がりそう。新しい技術を容易に受け入れる子供たちと、受け入れられず戸惑いいらだつ大人たちの対比が極端に描かれる。子供たち側の感覚も大人側の感覚も、どちらも理解できて感情移入できる。

村上龍の文体、好きなんだよ。「退廃した風景街並み社会の描写と、登場人物の会話のテンポがよいですね。他の作品だとたまに気持ち悪い描写もあって、それが苦手な人も多いとは思うけど。

 

村上龍は「13歳のハローワーク」のなかで、小説家はあらゆる職業のなかで最後に選ぶべきものだ、というようなことを書いていたと思うが、僕はこれを文字通り受け取るべきだとは思っていない。という自説を補強する描写がチラッと出てきたが、これは語るのこっぱずかしいので、あんまりちゃんと書かないでおこう。

死ね

これ以上どうしろというのか???これでもできうる最大限、人生楽しもうとしているんだが???これでも必死さが足りない!!???生きていてもクソつまらない以外の言葉が思い浮かばないんだが???これ以上なにをしたらいいの??ほんとにもう何もわからない、全然わからない、どうしてこんなにも虚空なんだろうね。なにも欲しいと思えない、なにも得たいと思えないのになにひとつ満たされず飢餓感だけはあるような感じ。どうしようもない。カスみたい。いままで努力してきたこととか人に尽くしてきたこととか、ほんとに無駄だったなとしか思えない。一切無駄、ゴミクズ。もうなにしても無理

死ね

どんなに楽しい気分でいても"これ"を見たらもうなにもかも嫌になる、というようなもの、ないすかね。僕はそういったものが山ほどあります。今夜も連休の過ごし方を考えたりfgoの周回頑張ったりしていましたが、一切やる気がなくなった。ルサンチマンですよ。夜刀の神に行き合ったというべきかな。どうでもよくなった。こんなことやってても意味ねえや。生きてる意味もなくない?ってくらい。密教の呪法などが使えたら事情は異なったのかもしれないが、まぁそんな法力は持ち合わせていない。舌打ちくらいしかできることがない。本当に打てる手がない、封殺だよ。すごい。世の中のみんな楽しそうにしてるのが本当にハラが立つ、原辰徳、どんな手を使ったら楽しく生きられるのか。どうすれば道化を演ずることなく人の輪に入れるのか。わからない。これでも少しは世のなかの役に立ってるつもりで生きてきたけど、あまりにも費用対効果が悪いつうのかな、見返りが少ないのか、チョロまかされているのか、ズリいよな〜ってずっとずっと思っているけど我慢している。我慢している。

死ね

たかが風邪とはいえ具合の悪いときに誰も頼れず気を紛らわせるような連絡をする相手もひとつもいないのは多少ツライなと思うが、これは我が前に人はなく我が後に人はなき人生を歩む以上しかたのないことだろう。人は一人で生きて行くものだ、などと言うつもりはないが、他人と関わると嫌な気持ちにばかりなる、一対一の関係が複数あるのなら大丈夫なんだけど、複数人が絡むともうだめ、そこに生じる権力関係というのですかね、歩調の合わなさにすらイラつくというか、一切我慢できなくなってしまった。むかつきませんか?同じようなことをしているのに自分は上手くいかない、あいつは上手くやっている、自分のときだけ巡り合わせが悪い、それは運が悪いだけとしても、そんなことでなんで嫌な思いをしなければならないのか、いつも貧乏クジばかり、あちゃ〜仕方がないですね〜みたいな顔をいつまでしてなきゃいけないんだろう?って思うと僕はむかつきましたね。もしかすると普段最強に身体が強くて健康でたまにしか風邪を引かないわけではなく、前に身体を壊したのがいつだったか覚えていないだけかもしれない。

【読んだ本メモ】内田弘樹・EXCEL『枢軸の絆 Band of AXIS』(イカロス出版)

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萌えミリタリー雑誌「MCあくしず」で長く連載していたコラムの加筆・単行本化したもの。単行本化する話は結構前からあってずっと楽しみにしていたところが発売予定はどんどん延期になって、あわやこのまま立ち消えになるのか……と危ぶんでいたのだけど、無事刊行されてよかった。

内容は、第二次世界大戦で枢軸国側で戦った日独伊以外のマイナーに国家・武装組織を解説しているもの。イラストが萌え系だが内容がっつりなので近現代史好きな人にはオススメしたいですね。イラストが萌え系とはいえ小ネタが満載でとても好き。ほんと酷い(褒め言葉ね)のもある。

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日本にあまり所縁のない国にもそれぞれに過酷な歴史があったんだな……てのがよくわかる。

連合国側にもファシズム政党が興って枢軸国側で戦っていたり。スイスが「永世中立国」となった血みどろの経緯。1990年代にまたゴタゴタしだすユーゴスラヴィアの報復の積み重ね恨み。イギリス自由軍団みたいなほんとギャグでしょ…みたいなの。第二次大戦のバルト三国がどこも悲惨すぎてクソワロえねえ、戦後もずっと尾を引いて…
ソビエトナチスドイツの間にある国みんな大変すぎなんだよなぁ、キチガイキチガイに挟まれて……
ヨーロッパ・ロシア編の国々は日本とあまり接点のない国が多く、初めて触れる内容が多い。一方でアジア編、満洲国・南京政府ビルマ・タイ・インドネシア・インドは日本の歴史とも大きく関わるところなので、知っている知識とリンクさせることのできる部分が多い。そういう歴史話がすすっと学べていい本だ。とは言え各国々の解説に割かれているページ数は多くはないので、興味がわいた国の近現代史はもっと深く勉強してみるのがいいのだろうな。たとえば、タイの項目でさらっと名前が出てきた海防戦艦トンブリ」は日本で建造されたとか、MCあくしずで読んだ。面白いネタはあるはず。トンブリの砲塔や艦橋構造物は現存しているようなので、それを見るためにタイに行きタイ!

【読んだ本メモ】竹田青嗣『ニーチェ入門』(ちくま新書)

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一読しただけでなにもかも理解できるようになるわけではないが、ニーチェの思想の概説がコンパクトにまとまっており、同時に読んでいるツァラトゥストラの脚注で解説されていることがなんとなく理解できるな、というくらいになれそうな気持ちになれました。

むかしミクシーで日記を書いていたとき、その時もあらゆることに気分が悪くて「この世の森羅万象がムカつく」というようなことをいつも書いていました。あるとき誰かが「それはルサンチマン(ressentiment)だね」とコメントをくれたのですが、ニーチェを1ミリも知らなかった当時の僕は何言ってんだコイツとしか思わなかったけど、いまにして思えばアイツの言いたかったことも少しわかった気がします。"超人"だったのかな、アイツ。


とりあえず、ニーチェ思想の三本柱

ルサンチマン批判

・これまでの一切の価値の顛倒

ニヒリズムの克服、価値の創造

についてなんとなくわかった気になれた!(読んだ直後はね)

 


1950年代ごろまでニーチェはナチズムに影響を与えた不穏で危険な思想家であるとみなされることが多かった。権力への意志、神は死んだ、一切は許されているといった、ニヒリズムの感覚、反理想主義・反道徳主義の印象のため。

マルクス主義の崩壊とともに近代最大の哲学者という評価に変わっていく。

 

19世紀における資本主義の矛盾、植民地戦争・帝国主義戦争・世界大戦の原因をマルクス主義は資本主義にあるとした。資本主義は絶えず新しい市場を求めるため、資本主義国家は市場と利権を求める侵略的になり戦争行為が必然的となる。ゆえにこの矛盾を根本的に解決するには私的所有と自由競争を取り払うことが求められる。

現実には、社会主義国家は例外なく極端な権力ゲームの社会になり失敗した。そこでニーチェの思想は、権力的なもの・権力を作り上げる力学に対する強力なアンチテーゼとして読み直された。


ニーチェを重要な柱としたフーコー歴史観の基本は、近代的な「権力」は暴力によってではなく「知」によって組織される。権力は強力な抑圧として存在するのではなく、個々人のうちに内面化され、隠れた権力として機能する。いかに見えない権力を解体するか。

 


ニーチェにとってのアイドル的存在、ワーグナーショーペンハウアー

ショーペンハウアーは世界をふたつに区別する。世界の一切の現象(表象)、と、この一切の現れの根本原因となるもの(意志)。人間は運とかツキとか、自分の運命を左右する「根本原因」を想定せずにはおられない。具体的な意志の現れとしての人間のあくなき欲望により、人間は苦悩する。仏教ぽい。


●『悲劇の誕生』

人間はその欲望の本性(生への意志)以外によってさまざまな苦しみを作り出すが、にもかかわらずこの欲望(生への意志)以外には人間の生の理由はありえない。←「生の是認」

悲劇の本質は、矛盾にもかかわらず人間は生を欲するという根源的「意志」の本性を人間に伝えるもの。音楽の精神からのみそれが可能。アポロン的な個別化する原理でなく、ディオニュソス的な一体化する原理を本性とするゆえに。


17世紀デカルト、18世紀カント、19世紀ヘーゲルによる近代哲学によって企てられたのは、

①正しい「認識」の原理

カントの「物自体」

人間の理性の能力では、「世界それ自体」(物自体)を認識することは不可能。

ヘーゲル、人間は長い理性の歴史のプロセスを通して最後には「絶対知」に達しうる存在だ


②人間の「善悪」の新しい基準

カント、「善」とは、自由な存在である人間が道徳的たろう意志すること

ヘーゲル、これが世界全体にとってもっとも正しいあり方だという意見がいくつも出てきたら無意味だと批判。人間は自己中心性を持ち自分が愛されたい認められたいという自我の欲望をもつ、そして原理的にはこれは他者の承認によってのみ可能。

 


●『反時代的考察』

ドイツが正真な文化の追求を怠っていながら戦争の勝利によってドイツ文化の卓越性が証明されたかのようなでたらめを言い募っているのだという、ドイツ文化批判のような内容。


・良い・悪い、善悪の起源論

「よい」の起源は利他的な行為、この行為を受けた人にとってよいもの。この起源が忘れられ、ある行為自体(施し・慈善・犠牲など)が習慣的に"よい"と呼ばれるようになった。

↑とされているが、ニーチェ的にはこれは間違い。

利己的-利他的という概念ではなく、高貴-野卑という対立概念で結びついている。「高貴」な者・高位の者・強力な者たち自身の自己規定として生じた。「高い者」たちが自分自身に属するさまざまな力の特性を「よい」と呼び、このような力を持たないことが「わるい」と呼ばれたのだ。


道徳の起源は恐怖や不安→道徳は群れ集まろうとする本能に由来する、弱さの現れといえる。利他性は弱者から出てくるものであり、道徳の基礎には願望がある。

人間社会に必要な道徳が胡散臭くまた危険なものになるのは、ルサンチマンによって道徳の自然性が反転し内向し、現世を超えた絶対性と結びつくときである。


本来普遍的に人が持つものだったはずのある正しさ(利他性など)を絶対化するところに宗教のうさんくささがある。ニーチェが20世紀後半に再評価されたのは、キリスト教批判が信念・主義・イデオロギーなどに対する普遍的な批判思想として読み直されたから。


客観・物自体・世界そのものといったものは存在せず、人間が与える無数の評価・解釈があるのみ、その中でもっとも力を持った(説得性がある・権力を持つ)解釈が真理と呼ばれていたにすぎない。

神学的世界像の代わりに登場した哲学・科学、ロマン主義相対主義懐疑論・機械論・無神論・ペシミズム・デカダン→徹底的ニヒリズムの到来、なにもかも人間社会の取り決めにしかすぎないのならば、実は一切はなにもなく一切は許されているのでは??

苦悩→ルサンチマン→三つの推論(目的・統一・真理)→ニヒリズムニヒリズムを克服する理想「超人」「永遠回帰


●『ツァラトゥストラ

「階序」があるという前提。平等であったらよいのに・平等であるべき、というところからルサンチマンが生まれ、生の否定にまで行き着く。これを取り払う。強者と弱者が存在するという事実を認める。


●「超人」と「永遠回帰」の解釈についてもいろいろメモったけど、よくわからなくなったので一切消しました。