現実世界のルーザー

この世に救いはない。読書論・椎名林檎論などを綴ったこの世界最後のブログです。

椎名林檎の「今」を聴いて思うこと

僕は小説家なのだけどいっこも小説が書けないので、副業でSE*1をしているかたわら、人理継続保障機関「カルデア」で人類史を正す戦いに身を投じている。それは未来を取り戻す物語!現在、夏の水着イベント真ッ只なかだ。

自分が過去に書いていたmixi日記を読み返すと、あぁこんな面白いこと書いてたんだな、これを書きなおしたいなって思うエピソードがいろいろ見つかるのだ。むかしのほうが僕は感性が豊かだったんじゃないか。いろいろ感情をブチまけて書いていたじゃないか。ギャグも冴えている。そう思ってついついむかし書いていたことをブログにリライトしちゃいたくなるんだけど、そっちに頼ってちゃダメだよなって思って我慢するようにもしている。新しい文章ってのは無理やりにでもひねりださないと書けないものだね。過去の焼き直しばかりでは新しいことは書けないって、小説を書けない小説家だけどわかってきたよ。

過去に書いた文章があり、これから書かれる未来の文章があることを考えたときに思い浮かぶのは、やはり愛する女*2のことである。アルバム『日出処』の「」を初めて聴いたのが*3、発売日にアルバムを買いに行ったときのこと。忘れもしない皇紀2674年*411月5日、ところは東洋の魔都としてあまたの陰謀渦巻く帝都大田区蒲田のTSUTAYAだった。まわりのアイコーカどもは死武矢だと死ン塾だの栄えた町のタワーレコードで購入していたようだが、当時奴隷階級だった*5僕には蒲田で買うほか自由はなかった。そしたらそのTSUTAYAがね、新譜のアルバムを店内でリピートしているわけだな。ウキウキしながらスキップして行ったら、ちょうどお店でかかっていたのが「今」だったんだ。おっと、まだ聴きたくないぞ!おうちに帰ってからじっくり聴きたいんだ。今じゃない、今じゃない、いや、曲は今だけど、聴きたいのは今じゃないんだ、嗚呼、なんて美しいの、って感じで、耳をふさぎながら買ったのは良い思い出です。

過去と未来という対立するふたつの抽象的な概念と、そのふたつが接する情景である"今"を、言葉だけで色彩までもイメージさせながら描き出しているこの曲の歌詞は、現代詩の最高峰に位置しているのではあるまいか?と思っているんだけど、僕は現代詩を研究したことがあるわけではないので、この件をどこかへ訴え出たりはしていない。まぁその、個人的にスッゴいツボだったというわけだ。最高峰かどうかはわからんが、歌詞の短いフレーズから聴き手が莫大な情景・ストーリーを呼び起こせるのだから、優れた詩であることは疑いあるまい。僕のような無能な小説家は情景を描写しようと思うと無駄に言葉数を増やしがちなのだよな。抽象的な観念について書くときなんて特にそうだよ、無駄な言葉を書き連ねちゃアカンねん*6

歌詞の内容について、ふたつの相反する要素が溶け合う情景を描いた見事な内容であるという点でもう一曲、「天国へようこそ」日本語版のことも書きたいのだが、これはまたこんどしよう。僕はアイコーカのくせに、いっつもこの曲のタイトルが「天国ようこそ」だったか「天国ようこそ」だったかわからなくなる。不出来なアイコーカは地獄へようこそってかんじだよな。

 

むかし僕がフられた女の子は未来人だった。

いや、涼宮ハルヒのみくるちゃんみたいに未来から来た人間だという意味ではなく、なにかにつけて未来志向だった、ということである。今これをやっておけば後で役に立つから、今努力しておけば後で役にたつから、そうやって今この瞬間をより良い未来へと結びつけたがる人だったのだ。今ただしくあることが明るい未来へと繋がっているのだ、と。一方で僕は見ての通り過去に囚われた人間なので、リンゴの歌詞のごとくいつも黒々と澱んでおり、こんな冴えない今があるのは過去が冴えなかったからだ、ダメな過去だったからダメな今なのだと思っていた。このように今の捉え方が正反対な明るすぎる彼女と暗すぎる僕の生活はお互いの向き合い方の陰影をはっきりと浮かび上がらせ、当たり前のように別れを迎えたわけだが、暗黒のルーザーは眩しい彼女へ大いに憧れていたところがあり、フられた直後は「いつ死ぬの?今でしょ」って思うくらいにはツラかった。こんなことを思い出しながら今書いているこの新しい文章は果たして過去を向いているのだろうか、未来を向いているのだろうか。*7

*1:システムエンジニア

*2:椎名林檎

*3:英語版は前年の党大会で聴けたけどもね。班大会?そんなものは無かった

*4:2014年

*5:今もだよ

*6:観念・アカンねん、っていうダジャレ

*7:このフられた女の子のエピソードは、もちろん架空です。

椎名林檎の「いろはにほへと」を聴いて思うこと

2013年の5月27日が椎名林檎のシングル『いろはにほへと』の発売日だったわけですが、当時ゲットして聴いたときにそのあまりの名曲っぷりに感極まったのでしょう、2013年5月28日の零時52分に書いていた僕のmixi日記がクソウザかったので、文章はほとんどそのままにリライトします。マジメな人に刺されそうな内容でした。こういう芸風のギャグなのだと思ってご寛恕のほど、伏してお願い申し上げます。
みなさん2013年5月27日にタイム・リープした気持ちで読んでください。

 

 

もう日付が変わっちゃったけれど、5月27日はりんりん(椎名林檎の新曲発売日だよ!!
みんなもうお手元に揃っているかナー??100枚買っても握手券は一枚も入っていないぞ☆ 林檎総選挙があるならば僕は1,000枚買って1,000票入れるところでしたが、そんな予定はないようなので一枚しか買っておりません。

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『いろはにほへと/孤独のあかつき
5月27日発売
TOCT-40420 1,000円(税込)

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オフィシャルMVがこちらからご覧いただけます。


椎名林檎 - いろはにほへと

MVはこんこん!!
りんりんにこんこん!!

死にますね。
死にます。
もう死にます。
林檎地獄の一丁目


CDのクレジットを見たんですけど、イザワ?イサワ?どっちだか忘れましたが、そのイザサワさんっていう人がチェンバロの演奏をしています。むかし「東京事変」っていうバンドの鍵盤奉行だった、捨てられた子犬みたいな瞳をしたニーチャンです。なんだか懐かしい友人の名前を見た気分だよ、イザ…サワさん。

みなさんチェンバロっていう楽器を知っていますか。見た目はピアノっぽいんですけど、チャリーンチャラリーン(!?)っていう音がするんです。ピアノは鍵盤を押した時に体内の弦をハンマーで叩いて音を出すんですけど、チェンバロは爪で弾くんですよね。(←あってる?赤ペン先生、添削4649(よろしく))

<ご参考>


P. Royer. La Marche des Scythes. Yago Mahúgo, Harpsichord.

ジョゼフ・ニコラ・パンクラス・ロワイエの「スキタイ人の行進」
演奏は知らないオッサン。この曲、ヤバいくらいカッコイイですよ。

アニメオタクのみなさんには、新世紀エバーゲリオン(旧)劇場版のエンディングのコレ、パッヘルベルの「カノン」のほうが馴染みが深いでしょうか。


パッヘルベル カノン

僕はチェンバロが大好きなんですよね。なにより音が良い。そして旧い楽器にはその時代の誇るべき装飾が施してあって、見た目が非常に美しい。ピアノみたいに音の強弱をつけられないとか、ペダルがついていないとか、音量もピアノより小さいとか、デメリットもあるそうですがそういうのは全部どうでもいいです。貴族になって立派なコンサートホールとチェンバロを所有して、毎晩将来有望な若手音楽家たちにタダで演奏会を開かせてやりたい。そんな僕の小さな夢すらかなわないこの世は地獄だ。

 

今年*1の5月27日新曲は発売とともに椎名林檎のデビュー15周年の日なんですよ。(ですよね?) 普段からアタマがリンゴッパーな林檎ヲタクのみなさんが輪を掛けてパッパラパーの御祭騒ぎですが、クールダウンしてくださいよ。徳川幕府は260年続いたんですから、僕は15周年くらいでは動じません。紋付袴の出で立ちで、震えながらこの日記を書いているので説得力もないですけどね。まぁ僕はみんなほど御祭脳(スイーツ)ではないので、玄関に立てた門松も明日には片付けます。

以上、じゅげむじゅげむ五劫の擦り切れ、椎名林檎の新曲レビューをお送り致しましたッ!!

 

 

……だってよ。タイムリープはオシマイ。未来で待ってる。どうでしたかクソ日記。

曲のレビュー、してたか?いや、していない。*2

僕がむかしフられた女の子は、テーブルマナーにちょっびっと抵触するくらいの不作法をしただけでいちいちお小言を言ってくるくらい生真面目だったから、僕の書いたこんなノリの日記なんかも大嫌いだったんですね。まだ学生のときだったのでSNSもろくにやっておらず、この日記のようなものが目に触れたことはないのだけど、読まれていたらさぞかし憎まれていただろう。当時の僕の普段のしゃべりかたや性格はいまと変わらずだもんで、しょっちゅう怒られていた。「そんなんじゃ社会にでてから苦労するよ」って、ものすごくキツく言われ、その度にヨケーなお世話だよって思っていた。結局どれだけ叱られてもふざけた性格は矯正されることなく、大喧嘩のすえ破滅的な別れを迎えました。あの時にヨケーなお世話だと思わずにもっとマジメな文章が書けるように努力していれば、いまとはまったく違った人生を歩むことになっていただろうか。こんなふざけた日記を書くとき、いつもそんなことを思ってしまうのです。*3

*1:当時、2013年のこと

*2:反語

*3:このフられた女の子のエピソードは、もちろん架空です

【街コン敗戦記】神楽坂地獄変・冥府魔道を行くの巻

愛なんていらねえよ、夏

いよいよ本格的に夏めいてまいりましたこのごろ、みなさまにおかれましては、どうせルーザーさんのことだから毎日虫の如くみじめな生活をしているのだろうとお思いのことでしょう。ご明察!ナメクジのように干からびそうになっているよ。なにか活動せねばいかん。そう思って、むりやりブログを更新します。

なにかと風紀が乱れがちになるこの季節、恋に破れ愛に迷う一切衆生を救うべく、もう何年も前に行った街コンでの敗戦エピソードを書きます。ノー・モア・ルーザー、この記事を読んで、一人でも多くの迷えるヒツジさんが、質の悪い街コンでこころに傷を負わないことを願うばかりです。

 

もう何年も前の、その日。会社の先輩からお誘いいただき、巷に流行りの「街コン」なるものに生まれて初めて行ってきたのです。新緑まぶしい初夏の候でした。

みなさんも聞いたことくらいはあるでしょう、街コン。 主に「横浜コン」とか「新宿コン」とか地域ごとに開催される大規模な合コンイベントです。まぁテキトーなもんですよね、この名前の付け方は。去年ポケモンゴーが流行ったとき、ポケモンの巣(特定のポケモンの出現率があがるスポット)で街コンが催されたとかいうウワサも聞きました。僕はそのころポケモンゴーに少々のめりこんでおりまして、トレーナーレベルも平均よりぐぐっと上で図鑑もほとんど埋まっておりましたが、硬派なのでそんなイベントには見向きもしませんでした。ポケモンゴーは生命を削ってやるものだよ。軟派なイベントに堕ちるなどもってのほかだ。

閑話休題、街コンの基本ルールは、同性の二~三名一組で参加して制限時間内に開催地区の飲食店の飲み歩き食べ歩きをしながら出会いを求めるという形式で、仲良くなったらその後二次会でもセッ久でもご勝手にやってください、ってかんじです。だいたいどこでもこんなもんですよね?

街コンへなんて行くのはそのときが初めてだったから、それはそれは期待を致しました。高い参加費をむしり取られ、女の子と楽しくおしゃべりしつつの酒池肉林、メアド交換によりアドレス帳は豊潤に富み、おいおい、あわよくばその夜ワンチャンあるか……? 

さてその顛末たるや―――。 

総じていうと、今回行ったそれは主催者幹事たる人達の無能っぷりが目につく鼻につくばかりの会でした。海よりも深い心を持つあのルーザーさんがまじおこ、女の子の話より先に人の悪口を書くなんて、珍しいことです。

まずひどいのが、ホームページのご案内に記載されている受け付けの時間表記と、案内地図が間違っていたんです。ぜんっぜん違う場所をご案内しているんです。僕はほっとけばいいと思ってたんですけど、心の優しい先輩が幹事連にご指摘申し上げたところ、「実は今月から変更になったんです」「地図はSEがミスをしたようでごにょごにょ」などなど言い訳をはじめ、いやいや目で見てわかる確認が出来ていない時点でそれはおまえらのミスであって、SEのせいにしていいのはシステム的なバグが内在していたときにおいてのみだぜ、とツッコみたい気持ちは千万無量。この時知ったんだが、会場のお店は、神楽坂というおしゃれシティーにもかかわらず、雑魚みたいなチェーンの居酒屋なのだ。幹事の連中のやる気のなさがひしひしと伝わってきます。開始前からきなくさーいイヤな雰囲気が漂ってまいりました。

【ROUND①】

出鼻で不安を煽られましたが、しかし、気を取り直します。幹事がおっちょこちょいでも、僕がちゃっかり女の子と仲良くなれればそれでいいんです。こういう時に僕が巡り会わせる女の子は大概カワイイんですよ。運の無駄遣い「鬼引きルーザー」の豪運っぷりを見せてやりますよっと。

ほーら、ご案内頂いた部屋は… 
心なしか女の子が圧倒的に少ない気がするけれど…… 

ほらみろ!!
目の前の女の子がMちゃん*1にちょっぴり似ていてカワイイ、好みだ。開始時間を過ぎても特に幹事から指示もないのでみんなテキトーに飲み始める。あとから幹事のヒョロい奴が通らない声でなにか叫んでいたが全然聞こえなかった。
そうして僕のテーブルでも人生初街コン第一ラウンドの幕が切って落とされたわけです―――が、なんということでしょう。みんなのように楽しくおしゃべりできません。 

「どこに住んでるんですかー」

「お仕事なんですかー」

「何歳ですかー」

うう、そんな人間として当たり前の会話に入れないのです。大勢の飲み会のときに、興味のない話題でみんなが盛り上がり始めたらとたんに無口になっちゃうのは僕の悪い癖です。このときも僕はあんまりしゃべった記憶がありません。なにもしゃべれた気がしません。

 みんな「休みの日なにしてるんですか?」 

 ぼく「なにもしていないです…」 

だめですね。こんなやつが街コンでうまくいくわけがないのだ。

普通まともな街コンっていうのは、一定の時間がきたら幹事が参加者に店を移動するよう促してメンバーチェンジされるものらしいんです。席を廻して色んな人とおしゃべりする機会を与えてくれるものなんですね。けれど、このときは幹事の無能そうなヤツがときおり適宜お店移動してくださーいとか遠くで叫んでいるきり、ほかになにもありませんでした。別の店に移動すべきかどーなのか、先輩とテレパシーで相談しました。 

あ、先輩とは事前にサインを決めていたんです。 

「ちょっとこの面子は好みじゃないんで他へ行こう」「もっとマシな女の子を探しに行こう」なんて露骨に言ったら角が立つので、"天気の話題"の内容によってその場の押し引きを決めよう、と示し合わせたのです。これは阿佐田哲也の『麻雀放浪記』からヒントを得ました。

すなわち「今日は暑くてやってらんないですねー」みたいなネガティブなかんじのことを言ったら「これはイマイチや」という意思表示。逆に、「晴れて良かったですね!」というようなポジティブ系の内容ならば「このまま頑張ろう!」ということをお互い伝え合おうって相談していたのです。

 先輩「今日曇るんちゃうの?」 (訳:いまの目の前のコたち、微妙じゃね)

 ぼく「いや雨予報出てなかったっすよ」(訳:いや全然いけるジャン

正直いって僕は、Mちゃん(偽)に見とれてサインのことを半分忘れていた。僕はMちゃん(偽)とつまらん話がボソボソできればよかったし、暑いお外に出るのは気が滅入るなと思ったけれど、先輩がどうにもほかのお店にも行きたそうにしていたので、二回戦に期待して次のお店に移動しました。Mちゃん(偽)とはメアドを交換しなかった、交換しようって言えなかった、鳥肌*2ルーザー。

 

【ROUND②】 

すぐ近くの、二軒目に至る。「立食形式のお店」ていう時点で僕はいやな予感がひしひしとしていた。店に入ると目に付いた幹事らしき、顔がイチロー選手に似ている人が、特に案内をしてくれることもなくスマートホーンを触っている。パズドラでもやっていたのだろうか。待っても、わざとらしくキョロキョロしても、案内も、なにも、ない。わたしたち、居場所、ない。 

先輩と相談する。入店以来薄々感じていたけれど、ここダメじゃね?ぜんっぜんダメじゃね?お酒一杯分滞在したのち、一軒目のお店に戻りました。戦わずして負ける。塚原卜伝*3も腹を抱えて笑うよな。

この戦わずして負けた第2ラウンドは我々の被害妄想にすぎなかったのか?僕は"否"だと思うんです。この催しの参加者は、それとわかるように恥ずかしい蛍光色の紙わっかを巻かされていたんですね。一軒目のお店に戻る道端には、その紙わっかがいくつも無惨に引きちぎられ打ち捨てられていました。我々と同じように、女の子とサッパリ喋れなくて馬鹿馬鹿しくなって途中で帰っちゃった人々が少なからずいらっしゃったのだろう。正直我々も馬鹿馬鹿しくなっていたが、「不退転」の覚悟をもって臨んだ街コンなので、ここで帰るわけにはいかなかった。

 

【ROUND③】 

まだマシな一軒目に戻って仕切り直し―――が、女の子が来るのを待たされる。なんせ、女の子の数が圧倒的に少ないのだから。明らかな激おこぷんぷん顔で「平静を保とう」みたいな会話をしている他の参加者男さんたちと横目に見つつ、ピリピリした空気の中、待つ。 

正直もうダメじゃないかなー 

と思ってたら女の子きた!!三人きた!!真ン中のこけしみたいな女の子がちょっぴりカワイイ!!ぬるくなったお蕎麦を食べながら会話に突入だ!!
……しっかしまたみんな盛り上がっているなか僕だけ孤立していくんだな、なんせ話題がどこにお住まいだの、お仕事なにしてはるだの、何歳でっか、またこのループ、ループ、ループ。まぁ初対面だったらこんな話題になるのは当然かなぁ。僕はイヤになって黙々と唐揚げを食べていました。もう終わりのほう疲れ果てて俯いていました。想像できるでしょう。僕は愛想笑いなどできないのだ。

 

斯くして矢は尽き帰路につく。刀*4は抜いていない。この日のメアドゲット数、ゼロ。二次会、ねえよな。セッ……い行為なんて夢のカナタだったね。収穫は、Mちゃん(偽)とこけしとちょろっとおしゃべりしたこと、幹事の女の子の脇をガン見したこと、それだけだ。 

なお、幹事の無能なやつらはバッチリ参加者の女の子の連絡先をゲットしていやがりました。「いついつにバーベキューのイベントを企画してるんでー」みたいな口上で誘っていたが、明らかに女の子にしか声を掛けていない。あぁ、わかった。古来より、ギャンブルするより賭場を運営したほうが着実に益があるって言いますよね。まさにそれだった。ガチャに期待したのが馬鹿だった、参加者にガチャを引かせるのが儲けの常套手段だ。

後から知ったことによると、近年の街コンブームに乗っかって一儲けしてやろうと企む質の低い業者によって主催される街コンも増えているのだとか。そして、このときの主催者の評判がまさにそのテのものだったということ。

あと、ナンパ師たちは街コンの催される日時・場所を狙って、終わるころにそこの最寄り駅でナンパを試みるらしい。なるほど、こっちのほうが金もかからず合理的じゃないか。

なにもかも、負けて思い知った。若き日の痛い思い出です。

とはいえ、女の子と仲良くなるチャンスがゼロではなかったのだ。それをフイにしたことには変わりない。なにを書いても言い訳にしかならない。僕には主人公力が足りなかったようです。こののち数々の街コンや合コンに参戦していくのだが、都を落ちた平家のごとく負けに負けを重ね、やがて滅びを迎えることになる。風の前の塵に同じ。それらはまた、別の機会にお話しいたしましょう。南無。 

*1:僕が8年くらい前に片想いしていてフられた女の子

*2:チキン、臆病者のメタファー

*3:「戦わずして勝つのが無手勝流じゃガハハ」と言ったことで有名な剣豪

*4:隠語

陰陽鬼遣らい

今日は節分の日ですね。 

むかしむかし、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われた、というのが節分の起源だそうです。 

これから春に向けて季節の変わり目になる時期ですので、みなさま無理をして体調などくずされませぬよう、ゆめゆめご自愛されますように。 
3末の対応に向けてますます忙しくなる現場も多くあることでしょう。 
しっかり体調管理して乗り切りましょう! 

鬼とか超怖えですからね。 
在原業平 二条の后をぬすみいでゝ、あばら屋にやどれるに、鬼一口にくひけるよし、いせ物がたりに見えたり。 
人ならざる脅威には要注意ですよ。 

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↑↑

っていう内容を、ずっと前に辞めた会社にいたころ、社員用ブログにアップしたことがありました。その時のタイトルも、もちろん『陰陽鬼遣らい』にしていました。社員しか見られないローカルなブログ記事だったとはいえ、書いたのはちょうど節分のころ。3末案件にむけてガンバローぜっていうごく普通の内容なはずなのに、誰からも反応は頂けなかったかと思います。「誰かのブログがアップされたことに気づいたらなにかしらコメントをつけること」みたいな社内ルールがあったにもかかわらず。みんなそんなものはやりたがっていなかった。

これを書いた当時の自分のメモ書きも残っていたのだけど、「タイトルに陰陽鬼遣らいって書きたかったから節分ネタにしたけどなにを書けばいいのかサッパリわからない、ブログとか超ムズい」って書いていました。つくずく(つくづく?)むかしから自己表現が苦手なのだ。もっともっと面白いことを気の利いた文章で書けるようになりたいですね。

ところで、本文中の「在原業平 二条の后をぬすみいでゝ、あばら屋にやどれるに、鬼一口にくひけるよし、いせ物がたりに見えたり。」というのは、江戸時代の絵師・鳥山石燕の『画図百鬼夜行という主に妖怪画集の、「鬼一口」の説明書きから引用したものなんですね。この画にはさらに元ネタがあって、平安時代の歌物語である「伊勢物語」の芥川の段のところなのですね。在原業平とされる貴族が二条の后という美女と駆け落ちして、あばら家で雨露をしのいで夜明けを待っていたところ、夜明けになると女の姿は消えていた。そこに住んでいた鬼に一口で食い殺されたのだろう。というような、平安の「本当にあった怖い話」のようなもの。

僕がむかしフられた女の子も、突然消えてしまった。カレシのいることに気づかないフリをして一緒に遊びに行って鬼一口に喰ってやろうと思っていたのだが、「喉が渇いた、なにか買ってきて」というひと言に騙されて、あばら家ならぬコンビニに飲み物を買いに行った隙に逃げられたのだ。あとに残ったものは「ゴメンね」のメールひとつ、よくあるフられパターンだよな。

  白玉かなにぞと人の問ひし時
     露と答へて消えなましものを

じゃなくて、「ビールでいいかい?」と問ひし時「いいよ」と答えて消えちまったんだよね。在原業平もこんな気持ちだったのか~って思ってたけど、よく考えたら業平がイケメンで有名だったのに対して僕はキモヲタだったから、ぜんぜん違うね。ってかこの話を社内ブログに書いていたら、さぞかしウケていたこったろうな。*1

*1:このフられた女のコのエピソードは、もちろん架空です。

ダイキライ(H ZETT M feat.HIRO:N )を聴いて思うこと

この冴えない人生を一発逆転するにはYoutuberになるしかねェのかなァ

って思いながらYoutubeをうろうろしています。ヒカキンのモノマネをできるようになろうかしら。毎日吐き気を我慢してクソみたいなシステム開発するゴマカシ人生よりも、子供たちを笑顔にするほうがよっぽど人間としてマトモだよなぁ。こんなナメクジみたいな生活がダイキライだよ。

そんな荒んだ気持ちを抱きながら、今日はYoutubeでこの曲を聴いていました。


H ZETT M「ダイキライ feat.HIRO:N」

PVが楽しいです。あと歌詞がとても良いです、この歌。

「顔も見たくない」
「記憶から消し去りたい」
「間違いをしたみたい」
「あんた ほんと ダイキライ」


みなさん、H ZETT Mを知っているかね。

かつて、林檎戦隊ジヘンジャーというバンドにて、「H是都M」とかフザけた名前*1で鍵盤奉行をやっていた人です。上記PVをご覧になったらわかる通り、変な人です。青鼻シルクハット。ジヘンでもすっごいヘンテコな弾き方でテクい演奏をしていたね。ずっと前にヴィレッジヴァンガードにふらっと入ったらH ZETT M初音ミクで曲作ったのを売っていて、そのときもあらためて変なヤツだなぁと思ったものでした。

僕はジヘンメンバーのその後の動向はほとんど追いかけておらず、この「ダイキライ」に出会ったのは偶然です。一緒に歌っているHIRO:Nという女性歌手は知っていた。高校生のときにラジオでちょろっと流れているのを聴いて気に入って、アルバム『mangosutana』を買ったのだ。久しぶりに姿を見た気がします。少し気だるい歌い方で、夏に聴くと心地よい涼しげな歌が多くてお気に入りの一枚でした。


hiro:n - Tokyo City (2003)

アルバムのなかでもとくにこの歌が好きだった。

「愛し愛され眠りたい」というフレーズが良い。



もうだいぶ昔に僕がフられた女の子は、SNSの名前をしょっちゅう変えるひとだった。

いよいよもうオシマイだねって思ったときに名前を「ダイキライ。」に変更してトキメいたことを思い出しました。なんとも投げやりな別れの感情表現があのコらしいナと思ったのだ。そういう小憎たらしいところがあなたの萌えポイントだよって伝えたらブロックされそうだったのでやめておきました。この「ダイキライ」の歌詞のようなことを思われていたのだろうか。*2

*1:カッコイイよなぁ

*2:このフられた女の子のエピソードは、もちろん架空のできごとです

人生ガチャで大爆死したルーザーが読書会で大勝利するためのたッたひとつの奥の手

どうすれば読書会で大勝利できるだろうかと、いつも考えている。

読書会ってのはいろんなスタイルがあるけど、ここでは特定の課題本を事前に読んでいって、内容についてみんなで語り合う形式のものね。

で、勝負事でもない読書会における勝利ってのはやや曖昧な表現だけど、自分の思ったことをじゅうぶんに語り合えれば大勝利じゃないすかね。言いたいことがうまく伝えられなかったり、うまく議論を発展させられなければ敗北。読書会とは自分の戦いなのだよ。

読書会は楽しいんですけどね、まず課題本を読むのがメンドクセ~のと、たいがいの課題本が面白いばっかりに、先走って読み終わっちゃって読書会のころには読んだ本の内容をすっかり忘れてるのが問題なんです。10万3000冊の魔導書を内容を全部暗記している少女もいるんだから、忘れちゃうなんて泣き言は本当は言ってられないんですけどね。忘れちゃうもんだから、読書会で遅れを取るよね。「どこどこのシーンで誰々がナニナニして~」ってみんなが盛り上がっているのに、それがどこの話かわからないことがちょくちょくあるのだ。思い出した頃には次の話題に移っていて取り残されている。敗北につぐ敗北だよ。

勝利するにはどうすればいいんだろうかって考えていたけれど、ついこの間参加した読書会は課題本が東浩紀の『ゲンロン0 観光客の哲学』で、これは哲学思想系で個人的にすっごい面白くって、再読どころか三回読んだうえに参考文献の関連本を何冊も読んで行った。おかげさまで自分の言いたい言葉もスムーズに出てきたし、他の人の話も余裕をもって聞けるのだ。やっぱ再読が一番ですね。*1あと読み終わるタイミングを調整しろってか。

 此の勝負に負けたら 

 「生キテユク資格モナイ」
  (椎名林檎「ギャンブル」)

ところで最近、「大勝利」に対して「大爆死」という言葉が好きで好きでしかたがありません。

ソシャゲのガチャでですね、レアが引けたら勝利・引けなければ爆死ですね。課金してガチャッても相応のレア度のもの引けなければ大爆死なのだ。僕は廃人じゃないので、(あまり)課金なんてしていないですが、ほとんど大勝利できたためしがありません。

太宰治の『人間失格』において、主人公の葉蔵と悪友の堀木が同義語(シノニム)・対義語(アントニム)の当てっこゲームをする場面がありました。

 黒のアント(対義語アントニムの略)は、白。
 けれども、白のアントは、赤。
 赤のアントは、黒。

大敗北のアントは、大勝利。だけど、大勝利のアントは大爆死なのだ。「ルーザー」の訳語も、「敗北」ではなく「爆死」にしようと思う。

 衆生「なんで名前がルーザーなんですか?」

 ぼく「ガチャ爆死しまくってSSR引けないんで……」

 衆生「あーなるほど」

話が早いね。

あぁ、大勝利したい。読書会だけじゃなくて人生に大勝利したいですね。

*1:つってもよっぽど話したくなったものしか再読しないのだろうけども

「積ン読」を解消するたッた5つの魔術的方法 含・仙人化のすゝめ

序論

僕も世の中のクソブロガー・クソライターのアクセス数獲得への狡猾なる情熱を見習い、タイトルを工夫して、タイトルで詐欺っていくスタイルのブログで攻めていくことにします。よろしくお願いします。

カテゴリーは「読書論」というわけで、あまりにモテないばっかりにいつも本を読んでばかりいるルーザーによる読書講座です。今回は、「本を読みたくてたくさん買っているのに読む時間がなくて積ン読が増えてしまっている」そんなどうしようもなく贅沢なお悩みについて、一緒に考えていきたいと思います。

ところで、タイトルにも使った「積ン読」という気持ちの悪い日本語はみなさんご存知でしょうか。このタイトルに惹かれて記事を開いてくれたた人ならだいたいわかりそうなものか。「いつか読もう!」「一丁勉強しよう!」と思って買った本が、家にたくさん読まれずに積まれたままになっている状態を言う言葉だね。最近のコトバかと思ったら、書物の発展に合わせてメージ時代に普及した言葉なのだといいます。

僕も買ったまま積んだきりで、いつ読めるんだろう状態の本がたくさんあるのでね。この積ン読をどう処理するか、というのは自分の人生におけるテーマのひとつと言っても過言ではありません。

計画的に読む本を選んで買ったり、図書館を有効活用できている人は「積ン読」のような深い業は持っておられないことでしょう。研究者気質で本を溜め込んじゃう人とか、忙しすぎて読むひまがないスーパービジネスマンとか、単に僕みたいなズボラマンがお悩みなのだと思います。僕は興味のある本を見つけるとジャンジャンバリバリ、ジャンジャンバリバリと買っちゃうのだ。ダメですね。

この積ン読をなんとか解消しようと思ってヒントが得られないかとインターネットで検索してみても、しょせんインターネットは地獄ですから、得られる有用な情報は「焚書」くらいのものなのですね。焚書も一時的には効果があるかもしれないが、また時が経てば本を買っちゃって積ン読状態になり元の木阿弥なので、あくまで対症療法にしかならないのだ。「もう買わないぞ!読む方に一意専心するんだ!」なんて決意は甘い、甘い。ちょっと面白そうな本を見つけたら買っちゃうに決まってんだろーが。人は誰しも、自分のこゝろに負けるのです。

 

仙人化のすゝめ

ところで、バカは風邪を引かないという。僕はバカじゃないので、風邪を引いたことがあります。日比谷線のクーラー直撃で端から端まで乗っていたこと、雨天のため気温が低い夜におなかを出して寝ていたことが原因ですね。なんともびっくらポン、朝起きたら咽喉痛痛之助(のどいたいたのすけ)、頭痛激激之助(あたまズキズキのすけ)、身体揺揺之助(からだふらふらのすけ)、風邪引引之助(かぜひきひきのすけ)なのだ。不死身のルーザーですから、エイヤッと気合いのひとつでも入れれば風邪なんぞたちまち治ってしまったのです。とはいえおそらく、一瞬くらいは微熱を伴っていた。 恋の微熱37度5分、平熱36度2分。

その微熱を帯びている間にどうやら羽化登仙したようなのです。平たく言うと、仙人になったのだ。

そして、仙人になることが積ン読解消への最短コースであることがわかったのだ。
本をね、量子エネルギーに変換したうえで吸収するのだ。具体的にはね、仙人になったらね、まずはお手元の本を神通力でエーテルに変換する。
そしてエーテルの粉をスプーンに乗せて火で炙ってね、嗅いで接種するのだ。
そうすると本の内容が読まずとも取り込めるという理論だね。
この方法を用いれば積ン読など一瞬で解消だ。

さらに脳量子派を利用することで仙人間の相互通信、いわゆるひとつのテレパシーが可能となるのだよ。読んだ本の内容をテレパシーで共有できれば、こんなに手間の省けることはない。

しかしね、問題もたくさんある。「誰でも仙人になれるのか」「どうすれば仙人になれるのか」「一度仙人になってしまえばずっと仙人でいられるのか」「仙人になれない人の気持ちを考えたことがあるんですか」などなど、湧き上がる疑問は枚挙にイトマがない。

人工知能なンか作ってる場合じゃねえぞって思いますよね。仙人化の一般理論を打ち立てねばならぬ。もしかしたら時の政府はヌカリなく人工知能に仙人理論を構築させるつもりなのかもしれない。 

むかしばなしに曰く、久米の仙人は飛行中にたまたま洗濯中の若い女人の肌に見とれたことによって神通力を失い、墜落したという。その日思わぬ風邪の効能でひとたび仙郷を見たルーザーであるが、すっかり風邪も癒えたと思ってマクドで読書していたところ、向かいの席の女子大生の脚を見ていたらなんだかアタマがくらくらしてきたよ。仙人にはなれきれていなかったのだ。すべては熱に浮かされたタワゴトだったのだ。僕は村上龍の小説に出てくるようなヤバイ薬物などはやっておりません。

↑ここまでのことはずっと前に風邪を引いて熱が出て、仕事を休んだけど本を読むことすらツラかったときにほかにやることがなくしかたなく書いていた手記を元に書いています。あーあ、仕事してる時間がマジもったいないですね、一刻も早く読んでいきたいのに。

まぁ正直、無理して本なんか読まなくてよくね?ってのが結論なんですけどね。僕は買った以上モトをとらなきゃ勘弁ならないド吝嗇*1主義な人間なので、買ったものは全部読むけどサ。

本気で積ン読に悩むくらいなら、いっそ本を全部売り払ってクルマを買って、ドライブを趣味にしたほうがいいと思いますけどね。読書に比べて健全だし、アグレッシブだし、モテそうだし。一緒にクルマを選ぶお手伝いならしますよ。ポルシェ911がオススメです。カッコイイよね!

 

【まとめ】「積ン読」にどう対処するか?

①ごちゃごちゃ言ってないで読む

②仕事をやめて時間を作って読む

③仙人になる

④あきらめて全部売る

⑤いずれ読むはずの本なのだから実質読了みたいなものだし、読んだことにしておく

 

業の深いあなたへ

⑤について、読んでないけど読んだことにしておくという手法、これを主軸としたい!と思った業の深いあなたへ向けたアドバイス

「読んだことにしておく」ってのは決して冗談で言ってるわけでなく、なかば本気でもあるのだ。積ン読の本の中には、買ったはいいけどめちゃめちゃ興味あるわけじゃないけど一応読んでおくか、くらいの優先度も意欲もあまり高くないものもあるかと思います。

そんな読んでない本を読んだことにするテクニックを鍛えるにあたって、僕が以前読んだこの本が有用だと思うんです。

 この本は、僕みたいに読書に関心があるけど本を読むのがメンドくせ~な~って人をターゲットとして書かれているのだ。

「本くらい読まねばならんぞ」「読むなら初めから終わりまでしっかり読まねばならん」「そして読んだ本について語らねばならん」
そんな風潮が世の中にはある。でもそれって、本当だろうか??著者の経験から言うと、読んでいない書物について語ることは可能だという。この時点で面白そうじゃないですか。で、語る相手もその本を読んでいなくてよくって、むしろ読んでいることが弊害になることすらある。とまで書いているよ。いったいどういうことなのか、詳細に述べられる。
読書をすることによって自分の得られるもの、そして他人と共有できる部分についての仕組みが説明される。普通は読んでない本のことについて他人と共有なんかできないと思っちゃうのだけど……ところがギッチョン、対象の本を読んでいなくても他人と共有する部分については語れるんやで、みたいなことが説明されるのです。
読書で教養を身につけるためには、ある本を読み込むことよりも、「書物全体への見通し」を身に付けることが大切なのだと書かれていた。全体への見通しができることで、自分の立ち位置がわかる。だから読んだことのない本でも、他の本の内容やらの関連性の中で語ることができるのだ、と。 書物は孤立して存在しているわけではないので読んでいなくても語ることができる。
まぁそんな理屈で読んでない本でも堂々と語れるようになるよってことなんだけど、「書物全体への見通し」を身に付けるためにはいろいろ読んでなきゃダメじゃね??って突っ込みたくもなる気もする。でもわかる気もする。読書好きの人にはぜひこれを読んでみて、どう感じたか感想を聞きたいところですね。

注意点として、この本では参考としていろんな文学作品を取り上げてるんだけど、盛大にネタバレしてんだよね。ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』って、中性の修道院における連続殺人事件というミステリ小説なんだけど、犯人の名前と事件の動機まで書かれちゃっている。いいのかよ。怒られないのだろうか。なので、『薔薇の名前』が気になっている人は絶対にこっちから読まないとダメ。あとほかになにが取り上げられているか、ネタバレ嫌いな人は読む前にチェックしとくべしだね。

京極夏彦みたいな宗教うんちくを含むミステリが好きならオススメですよ『薔薇の名前』。著者のエーコ記号論の学者だからね、学術ネタがとても濃いのだ。ヨハネの黙示録に見立てられた殺人事件、迷宮の如き文書館、事件の裏には一冊のナゾの書物があり。信仰と科学の入り混じった舞台、事件解決に向けた暗号解読、聖なるべき修道院に垣間見える俗っぽさ、ミステリの王道的な面白さもばっちり揃っている。。

個人的な印象としては、事件の舞台だとか事件の背景が京極の『鉄鼠の檻』に似ているなって思ったのでした。細かい宗教論争のところは本当に専門で勉強でもしていなければわからないかもしれませんし、僕も覚えていません。しかし事件の動機となった書物およびそこに書かれてかれていたことについては、文学や哲学好きなら楽しめると思います。


ってか、あぁ、こんなふうに面白そうな本をいろいろ紹介していったらみんなの積ン読がどんどん増えてしまうかもしれないね。

*1:ドケチ