アサヒ死ンブン

死骸ブログ

気づいたらおまえもなんとなく夏だったのか?

弟夫婦から「スイカ割りしよ!」というメッセージとともにみずみずしいスイカと彼らの飼い犬の写真が送られてきた。むかしスイカを被写体とした写真の著作権をめぐって争われた裁判があったことを思い出しながら、すっかり帰省の予定なんて念頭になかった僕は時にあらずと声もたてず、こちらからは猫の写真を送りながら「お盆は予定が詰まっていて帰省は難しい」と伝えた。アニメやマンガの描写でしか見たことがないスイカ割りに現実に誘われることがあるなんて、夏と聞かねば知らでありしを。

 

僕はこの夏、夏っぽいことといえば、扇風機で風を浴びながら猫とお昼寝くらいしかしていない。差し込む夏の日差しを避けながらゴロゴロしていると猫が首すじにもたれかかって甘えてくる。ナデナデ、ナデナデ……うとうと……

 

これまで関東の海で行ったことがあるのはえのしまの海だけで、その最初で最後の機会に江ノ島電鉄に乗って一緒に行った相手とは「いつか、かまくらにも行きたいね、幕府を見に行こう」と話していたけれど、かまくら幕府が滅びるより先に我々の関係のほうが滅びてしまった。海ゆかば、水漬くしかばね。まとわりつく蒸気のような空気と海辺の砂ぼこりを浴びながら互いに指先に相手の汗を感じて歩いていたはずだが、無限に核融合を続け地球上を焼き付ける太陽の日差しは光の豪雨の降るごとく、地上に落ちて乱反射した光の雨粒の膜に相手の顔も覆われて満足に見られなかった。見られなかったので、記憶のなかの相手には表情がない。相手の顔をよく覚えていないのは光の雨のせいで、僕が相手に対して関心が薄かったためではないです。海の水はまるで巨大な海獣から吐き出された直後の体液のようにぬるまっており、海水に浸された砂浜は生涯で見て見ぬふりをしてきた小さな罪の粒ようにこびりつき、ぬめりついてぬぐえどぬぐえど清められない。涼しさを感じさせるものは沖合を進撃する甲鉄艦の皮膚だけだった。「旭くんのスイカ、よく熟れているよ」という彼女の呼び声をきいて、はていつの間にスイカを買ったのかなと思いながら汗を拭おうと額に手を当てたとき、自分のあたまがスイカになっていることに気づくとともに、スイカあたまのなかに浮かんだのは泉鏡花原作の『草迷宮』の寺山修司版映画にでてきた化け物屋敷のスイカ妖怪で、そして、呼び声の方向に振り向いて最後に見たのは、振りかぶった金属バットを僕のあたまに向かって清原のバッティングフォームで振り切る彼女の姿で、つぎの瞬間にかまくらに行く機会が永遠に失われたのだった。

 

夏になるとみんなエモい文章を書きがちなので、僕も嘘っぱちを書いてみましたが、なかなか上手くいかないもんだな。