アサヒ死ンブン

死骸ブログ

信じない者にならないで信じる者になりなさい

十二使徒の一人でディディモと呼ばれるトマスは、復活したイエスがやって来たときに他の弟子たちと一緒にいなかったため「イエスを自分の目で見るまでは信じない」というようなことを明言したんだそうだが、そんなことよりも、僕が知っているバカな女は、僕がさんざん諌めていたのも聞かず「あの人の人柄は自分の目で見て確かめるから」と言ってみすみすクソ男のところに行き、そのうち男の都合で呼び出されて経済的にも性的にも搾取される奴隷になっちゃった。そういうケースに何度も出くわしたことがある。
どうしてこんなバカなことが起きるのか? 自分の目で見たものってそんなに信用に足るものだと思っているのか? 見えていないもののほうが大きいとは思わないのだろうか? イエスは<ワタシヲ見タカラ信ジタノカ。見ナイノニ信ジル人ハ幸イデアル>と言った。これらの"どうして"を考えていてふと思いついたこと、見たものを信じるか否かの考え方と視力には関係があるんじゃないか。僕は自分の目で見たものだからって用意には信じることができないんだが、それは小さいころから近眼だったためかもしれない。見えていると思うより、見えていないと思うことほうが多かったんだ。彼女たちはなまじ視力がよかったから自分の見ている世界がそのまま<真実>であると思っているのかもしれない。目の前のことが鮮明に見えてしまっているから、見えていない部分のことを考えたことがないのかもしれない。まぁ、視力検査をしたわけではないので確かではないな。単に愚かなのかも。
ところで僕は前述のとおり視力が悪いので常にメガネをかけているんだが、実弟の結婚式のおり丸メガネをかけて行き、披露宴で寿ぎの言葉をかけに行ったら、弟から「戦時中のダメな将校みたいやな、あの、牟田口?」と煽られ、「インパール作戦ンンン〜」って応えました。牟田口中将は、旧日本軍のなかでも最低最悪の将軍です。Wikipediaで読んだだけでゴミカスっぷりがわかります。ってか、なんであいつは牟田口とか出てくるんだ。カラマーゾフの兄弟って感じだね(?)