アサヒ死ンブン

死骸ブログ

マジで・ルーザー ・狂う・寸前(略してマルクス)

カール・マルクスは人間と動物の違いを「生活手段を自ら生産できるか否かである」と考えたが、これは大人と子供の違いにも当てはまるなぁ、と思うのだ。よく(?)子供とは?大人とは?みたいな間抜けが議論がトゥイッターで行われてることがありますが、これで説明すると割りと明快じゃねえすか。ガキのころは親の経済力に抑圧される生活がイヤでとっとと大人になりてえと思っていたよ。

「子供の豊かな感性」みたいな大人の言い分も片腹痛えンだ。本気で言ってんのん?未熟なものの中から大人が良しとしているものを選んでるだけのことじゃねえか。僕は子供時代の作文や美術だか図画工作の授業なんかすべて大人のクソルールに抑圧されているとしか思えなかった。いまでもそんな大人たちの抑圧を恨んでおり、隙あらばかつての大人たちの背中を刺したいが?あぁ、ここに「大人を殺したいと思う気持ちを持つ者が子供である」という新定義が完成しましたね。

つってもこんなこと書いておきながら僕は学生時代は精神が衰弱していたので引きこもってアルバイトもしてなかったんでつが(爆笑)