アサヒ死ンブン

死骸ブログ

猫は見ていた

先日一月十四日に、なべとびすこさん(@nabelab00)主催の『俺の歌会』という、「他人(自分以外の参加者)が作った短歌を、さも自分が作ったかのように紹介する」という特殊ルールの歌会に行ってきました。
そもそも「歌会」というのは自作の短歌を持って行って評し合う会ですね。通常は参加者が各々持ち寄った歌を名前を明かさずに並べて、評価の高い歌を選んで、語り合うものらしい。まぁ、こんな説明であっているのだろう。

 

なんせ自分以外の人の感性によって詠まれた歌を当日ランダムで渡されるので、どう解釈したか、それをどう面白く話せるかのアドリブ力が試される。緊張感があるけどもゲーム性が高くて楽しい。僕は数々の読書会でろくに読んでいない本についてさも隅々まで読んだかのように語ってきたり*1、やりたくない仕事を躱すため長年の社会人生活で"言い訳"のスキルを培ってきたので、それらを遺憾なく発揮できる機会だった。

 

そして自分の作ったものがどう読まれどう解釈されるか、ドキドキするね。

 

平成が終わる時間にこの世から消えるところを猫は見ていた

 

これは僕が作って持って行った歌なんだけど、良いでしょう?
短歌は素人だけどいろいろ工夫を凝らしたつもりなので、頑張ったポイントを解説したい。が、説明しすぎないほうがよいのかな。

 

平成が終わる時間という明確なタイミングを指定しつつ、この世から消えるという不思議さにつき当たるわけだ。自分が消えるのか?自分のなかの気持ちが消える?自分以外のなにかが消える?なにが消えるのかな?といろいろ思いをよぎったところに、猫は見ていたという終わりがやってきて、やはりなんらかの事象が消える場面があったのだなと振り返る。そして、猫が見ていた「消えたもの」についてもう一度考えてみる。

 

といった、たいそうな歌ではないです。年が変わって一月一日になる瞬間にジャンプして「オレ、年が変わる瞬間地球上にいなかったわ」って言うやつ、小学生のころ同じクラスにいませんでしたか?僕はそれをいまでもやるんだけど、タイミング見計らって飛ぶところを、飼い猫は不思議そうに見ているんだよね。同じことを次にやるタイミングは平成が終わるときだろうな、というところから生まれた歌でした。くだらねえとか言わないでくれたまえ。

これがまぁ「クソですね」とか厳しいことを言われたら凹んでやめていただろうけど、肯定的なコメントをいただけたのでこれを機にこれからもいろいろ作ってみたいな。伊達に毎日バカみたいに本読んでるわけじゃないんだなと思われたい、という気持ちもあるよ。僕はまともに詩作ができるだけの感受性もなく、言葉の響きの面白さを追求する技巧も持ち合わせないので、せめていままで読んできたものに育まれたであろう語彙の選択をもって歌を作るほかない。

*1:課題本はちゃんと読んでますよ、一応