メーフ・マドー

Me If Mad Oh!冥府魔道!おまえたちのことが大嫌いになったよ

犯された?

知り合いの多情多恨の女が、自らの性体験を話す時に「◯◯さんとエッチした」ではなく「◯◯さんに犯された」という言い方をする。強姦や強要されたわけではなくふつうのセックスするときのことを語るのに、常にこの語を用いている。念のために言っておくと、ここでいう"多情多恨"とはこれで姓・名なのではなく、情が移ろいやすい性格であるがために各所でたびたび恨みを売ったり買ったりしている女である、くらいの意味で使っている。尾崎紅葉の同名の小説とは関係ない*1。どんなに主体的な誘いかたをしたときのことでも、一瞬で受け身であるかのように変換する見事さ。都合よく使い分けるわけでなく、一貫した用法には惹きつけられちまった。僕は"表記揺れ"が許せないタチなのだ。

おかげで女に影響されやすい僕は、まんまと多情多恨ちゃんの影響を受け、別の女の子と飲むときも、酒の勢いで色恋の話題が煮詰まってきたとき*2に、「なになに?そいつとセックスしちゃったの?」ではなく、「犯された???」ってきいてしまう。まぁ相手を選んで使っているおかげか、この用語が原因で揉め事になったことはないんだけど。不用意に言ったら引かれるよな。しかし僕はちからの強い言葉はついつい使っちゃいたくなるのだ。美しい日本語、なんてバカバカしい。美しい日本語とやらにこだわって選書してる読書家とかも本当にバカバカしいと思っている。表現したいことを表現したい手段で表現している日本語が好きで、どんなに汚い言葉を使っていても、それが実現できている言葉と文章が好きだ。

で、思うにこの言葉は、入れる/入れられるの非対称性が明確な関係だからこそ効果的に使える表現なんだな。セクシャリティの多様性あざやかな昨今、この言葉の向かう先が男のカップル相手だと"どっちが?"のひと手間が挟まるために、一方的な暴力性が薄められてしまう。そんなふうに思うのだ。どうでもいいか。

最後にその言葉の効果についてひとこと付記するならば、あるとき件の多情多恨の女に小さな貸しを作ったことがあったんだけど、多情多恨ちゃんからは「迷惑かけてゴメンね、そのかわり、今日は好きなだけ犯していいよ」と、恐縮しながら言っているようでありつつ、その実、こう言えば大概のことは許される男はチョロいもんだナとこころのなかで笑いながら使っていやがるのだろうなと思いながら、いいよ気にすんなよと犯すことになったのだった。貸しとなった問題のことはそのままうやむやになった。

 

※この記事はフィクションです

*1:読んでいないし

*2:これは「煮詰まる」の正しい用法だ