アサヒ死ンブン

死骸ブログ

面白半分

むかしから「面白半分」って言葉が大好きなんだけど、この言葉のどこに面白さを感じるかってのが、「(厳密な割合などないとわかりつつも)"面白"じゃないほうのもう半分はなんなんだろう?」って考える余地があるところだと思うんですよね。

小学校のとき、悪さをしたことがバレたヤツが学級会で吊るしあげられたじゃないですか。そんなときのよくある言い訳で「面白半分でやりました…」っての、おまえ、面白半分と、もう半分はどんな気持ちだったんだよって突っ込みたくてたまらなかったね。

明治生まれのジャーナリストの宮武外骨が『面白半分』って雑誌を作っていて、この人は本当にふざけたことも真面目なこともいろいろ書いていて、誌名には面白要素を忘れずにやっていこうという気持ちを込めていたんだろうと勝手に思っている。戦後には吉行淳之介野坂昭如が編集長をやっていた『面白半分』てのもあったらしく、永井荷風作と言われる春本『四畳半襖の下張』を全文掲載してワイセツだってことで裁判沙汰になった雑誌がここなんだな。戦後のほうの『面白半分』に携わった人々ついて書いた新書を持っていたはずだけれどまだ読んでいないな。

ものごとをなにもかも全力でやってたらしんどいよ、生きるのがつらくなってくる。なにごとも面白半分でやればいいと思う。面白半分・真剣半分、面白半分・ガチキレ半分、面白半分・諦め半分、面白半分・愛情半分。感情の割合は都度都度考えればいいと思うけど、なにかを真剣にやるにしても、なにかの敗戦処理をしなければならないにしても、半分くらいは"面白"と思えるくらいの余裕を持って行いたいですよ。仕事なんかまさにそれじゃないですかね。ツイッターも面白半分でやんなきゃ精神が蝕まれますよ。ちなみに僕は嫌いな奴をツイッターで晒し引用リツーイトするとき、面白半分・憎しみ半分の割合でブレンデッドしてやってますね。