アサヒ死ンブン

死骸ブログ

親子①

ずいぶん前にツイッターのRTで回ってきたんだったかな、探しても見つからないので内容は定かではないが、こんな話を読んだ覚えがあるのだけど。

小学生くらいの子供が捨て猫を拾ってきて大事に育てるから飼わせてくれと訴えたところ、親が、生き物を愛でるというのは優しく撫でさすることではなく育て続けることに責任を持つということなんや、と強く諭しましたとさ。

生命を背負うとは厳しさを伴うものなんだよ~という教訓めいた意図が見え透いていて、はいはいおっしゃる通りですねと悪態つきたくなる、こころから不愉快な話だなぁという感想だったね。そんなことを言われたほうの子供はいったいどう思うだろうか?
オレだってガキやのうて働いて金を稼げてたら猫くらい自分で面倒みれるわ、おまえのような猫一匹の世話すらできない甲斐性のない大人にはなりたくない。
こんな風に思うんじゃないですかね。そう思ったところで、猫をかくまった弱みがあるばかり強くも言い返せないだろう。子供の無力さを描いた寓話だとしか思えないですね。
生命について知ったようなこと言わないで「経済的・精神的余裕がないため生き物はダメです」あるいは「猫キライなんでダメです」と言えばいいものを。

道徳じみた話がイヤだというわけでなく、子供をナメたような話が嫌いなんだな。偉そうに生命の重さだとか説いている者がまったく信用ならない。正しく飼えるかどうかは唯物論的に判断してくれや。