アサヒ死ンブン

死骸ブログ

金がない

金がない。いやまったくないわけじゃない、借金もないし、細々と生きていくだけなら直ちに影響はないけれど、そんな貧乏くさい話がしたいわけではない。いま財布の中身がいくらだったかなって常にあたまのなかで計算を強いられ、千円単位で行動が掣肘さるる、そんな生活が嫌で嫌で仕方がないって話をするのだよ。
どうやって稼ぐか殖やすか掠め取るかといった前向きな考えを生み出す生産的なことはここでは一切考えないし、金を使わない生活こそが真に人間的に正しい生き方なのだといった価値転倒のルサンチマンのようなことも書かない。ただただ金がなくてむかつく、ということ、これのみ。
あっ金がないのはムカつくな、と感じた瞬間はほかでもない、自分より十も歳が下の女に飲みに行きませんかと誘われたときに「お金がないので無理です」と答えざるをえなかったあの屈辱感、もうこいつには一生連絡せんとこと思うくらいイライラしたし、こんなことでイライラするのは生涯において初めてのことであった。
どこかで金を借りればよかったとか、その女は割り勘で安いお店でいいと言っていたとか、そういうことではない。そういう外部的な要素をすべて慮外にして生きて行きたいのに、それが叶わなくなったのが嫌だということなのだね。節約すればいいじゃん、というのもまったく見当はずれ。節約したくないのに金がない、それがムカつく、ということ。

読書はお金をかけずに教養の得られるよい趣味です、みたいなことが謳われる風潮が本当に腹がたつよ。そんなものはゴマカシで、読書なんて貧乏人の趣味だろ。僕はほかにできることがないから、金がないからバカみたいに毎日読んでるんだ。クルマ持って毎晩首都高ぶっ飛ばしてるほうがいいに決まってんだろうが。有り余るほど金があったら賭博だって女遊びだってしとるわ。金がなきゃ大した遊びができない、だから遊ばないというだけのことだね。金がないばかりにこんなゴミみたいな人生なのかなって思う一方で、良くも悪くも"原点を割れない"生き方をしてきたので、一丁借金して勝負に出るか!みたいなことも考えられません。勝負できる科目がないの。なにをして生きてきたんだろうな。いままでの一切がムダだった気がしてならないよ。金がないからこんなにイライラするんだろうな。「金は鋳造された自由である」ってドストエフスキーが書いてたらしいけど、おまえ借金しまくってルーレット賭博しまくって貧困にあえいどったやろ、なにゆうとんねん、って感じですね。そのうち『賭博者』は読みますよ。金がなくてイラついてる人間、描かれているのだろうかね。ほんとにいまイライラしてるので一銭にもならないことはなにもしたくないですね。

冒頭に書いたとおりこれは金がなくてムカつくということを書き散らしただけの日記なので、誰のご注進お説教も聞く耳もちませんが、金を恵んでくれるというお話ならばきいてやってもよいです。よこせよ。坊主めくりみたいに倒した相手の財産総取りできる世界だった勝負に出ていたかもしれないが、ヒョロいので返り討ちにされていた可能性が高かったな。空想するのに金はかからないが、僕は空想ではなく現実で金に飽かせて遊びたい。