アサヒ死ンブン

死骸ブログ

健康

あるときからプロフィールに自分の趣味嗜好、好きなものを書かなくなりました。SNSのプロフィールから取り除いたくらいだけどな。好きなものを標榜しておけばそれをきっかけに人と繋がることは容易なんだけど、好きなものを媒介にしただけの繋がりがいやになったのだ。同じものを好きな者同士は連帯すべきだというような言外の強迫観念、「想像の共同体」の縮小版みたいなのがイヤなのだ。もっと大きなところでいうと「日本人ならこうあるべき」みたいなの大嫌いだし。好きなものを語るのに記号的にしか語っていないようなのもイヤ、記号的にしか語っていないバカみたいなものにたっくさんイイネがついているのもイヤ。自分の好きなものに対する好きな気持ちは自分のなかにだけあるのが一番いい。そう思うようになりました。高校生のときに退化したようなかんじだ。

 

しかし好きなものを表に出さないということはコミュニケーションの起点がそのぶんなくなるから、それはもういっそう人と会話ができなくなるね。かつて、(シュミの合う人があればお友達からそれ以上の関係を築ければいいな的な人が集まる)街コン・合コン・相席屋に行ってことごとく惨敗したわけだが、敗因は、僕は「わしはこう思うんじゃ!」という主張を互いにし合いたいと思っていたのに対して、他の者は誰ひとりそのようなことを求めておらずお互いの好きなものだとかを擦り合わせることに終始していた、ということなのだろう。僕は好きなものの擦り合わせなんてしたくなかったよ。おいそれとそんなところで自分はこういうものが好きです、なんて明かしたくない。話のきっかけにされるのがイヤだった。

 

そうして誰とも会話ができなくなり、酒を飲まなくなり、たばこを吸わなくなり、健康になってゆきました。

お死まい