アサヒ死ンブン

死骸ブログ

死ね

ちかごろなにもかもが嫌になって連絡先をブロックしまくったりツイッターのアカウントを消したりしたのだけど、それでいて、それじゃ日常においてやることがなさすぎるので新しいアカウントを作ったりなどしている。もうプロフィールに好きなものは書かないことにした。もともと好きなものは自分ひとりで楽しめればよかったはずなのだ。いつから人と一緒に楽しむだなんて甘いぬるいお湯のような生活がよいと思うようになったんだろうな。よいとも、よいとも、楽しいよ。歓喜だろうよ。そうやって無限永久にみんなで一緒に楽しく生きていければよかったんだろうよ。しかし、僕にはもうついてゆけない。困ったな。そこで自己矛盾を起こしてこころがつらくなったのだ。延々(30分くらいか)悩んだすえに、いつ消すの?今でしょ。カット、カット、カット、カット、ぜんぶ削除だよ。思い出も過去も未来も要らぬ、要らぬ。余計な重荷を背負っておったのが馬鹿馬鹿しゅうなった。昔はこんな気持ちになったらミクシーにね、知ってますか?ミクシーって。化石みたいなSNSだよ。インターネットの遺跡になりつつあるSNSだ。そこにいろいろ書いていたが、あれもいやになった。ひところは心中したいくらい好きだったはずなんだがな。いやになった。どう生きればいいのか、って形而上学的な話をしているはずなのに、あーすればよいのではこーすればよいのではみたいな間抜けなコメントは不要だ。一度好きになったものはなかなか嫌いにならない、てのが口ぐせだったはずなんだがね。ちかごろなにもかも嫌いになっている。fgoが好きなのはずっとひとりで遊んでいられるからだろうな。なにゆえ森羅万象が嫌いになっているのかってえと考えてみると、人間嫌いに拍車がかかってんだな。むかしはただ、ひととしゃべるのが不得手だっただけなんだよ。仲良くなったひとは大切にしたいと思ったし、愛したいと思ったし、裏切りたくないとも思っていたね。いまはもうそういうのが無理になったのだ。もう、駄目なのだな。別に僕がいなくてもよくないすかね。よいよね。あぁ、楽しそうにしているやつら、幸せそうなやつら、だれひとり見ていたくない。僕はなにも楽しくもなければ幸せも感じられない。ずりーだろそんなん。だからブチ殺したいくらいイラつくんだ、おまえたちを、みていると。マジ卍。僕がもう少し体格よかったら往来でぶん殴ったりできたのかな。血を見るのが怖い性格じゃなかったら刺したりできたのかな。屍山血河を築くとこだったんだぞ。いやあ、命拾いしたなぽまいらってかんじ。フェースブックの通知もうぜえんだ。消したい。インスタグラムもぶち壊してえな。そこでしか繋がっていないひとがいることを思うと消し難いというか。ドケチな性分が災いしたな。別に嫌いな特定の誰かがいるってわけではないです。幸せそうなやつらがみんな嫌いってことです。いやあ、この歳になってこんなガキみたいなことで悩むとは思いませんでした。あと、金もないです。なにもできない。住民税を明日はらうと、持ってる口座ふたつ総算しても引越しがギリできるかな?くらいの現金しか残らない気がする。連合艦隊は壊滅。お終いだね。まぁ、金があればなんとかなるって話でもない。なにもないんだよ。だから困ってんだよな。芸術家ならこのモヤモヤを音楽だのキャンバスだのにぶつけるんだろうが、そういう才能がないのは三十年も生きてりゃわかりました。馬鹿みたいにいろいろ読んできたけれど、書くのも無理です。なにも書けねえんだな。人に読んでもらいたいもの、書けないの。世の小説家どもはどーやって書いてんだろうな。不思議遊戯だよ。どう生きればいいんだろうな。誰からも認められないのは、僕が誰のことも認めなかったからなのだろうか?

 

などと思っていることを書き出せばなにかと頭のなかが整理されるかと思いましたが、ムカつくことをたくさん思い出す以外に効用はなかった。徒労の10分であったな。憎いな。憎悪を撒き散らすほかやることがねえよ。