現実世界のルーザー

この世に救いはない。読書論・椎名林檎論などを綴った、この世界最後のブログです。

精神と身体のどちらが先行するのだろうかってことについて

むかし読んだまんがのショムニで、千夏が異性関係に消極的な佐和子を焚きつけるときに言ったんだったと思うんだけど、「身体で始まる大人の恋愛しようや」ってせりふがあった。*1

ことに恋愛において、好き嫌い許す許さないを考えることが先か?身体が動くほうが先か?みたいなことってあると思うのだ。
 
ついこないだ読んでいた評論集のなかの黒崎政男の『身体にきく哲学』からの抜粋で、現代のデジタルテクノロジーのもとで、「私」の主体はどこにあるのだろうか、ということが論じられていた。
曰く――
 
フランスの哲学者デカルトは、精神・身体の二元論のもとで、人間は精神を持つからこそ存在するのだと考えた。
「我思う、故に我有り」という有名な言葉はこの考えに基づくもの。思う、が先行するのだね。
のちのちもこの人間観が大きな影響を与えていて、我々は「私」の精神がまずあり、身体はその付属物として捉える傾向が強い。
 
が、現代のコンピュータ技術のもとでは、それが疑えるのではないか?
人間のDNA情報をデジタル記録できるテクノロジーのもとでは、「身体」の方が主体で重要なのではないか、という主張が力を持つことになる。絶対的なデジタル情報の前では精神に基づく「私」なんてあやふやなものは疎外される。身体のほうが精神に先行する。ということだ。
この評論ではフーコーの『監獄の誕生』を絡めて意識と監視の関係が論じられたりもしている。精神と身体の関係以外についてもいろいろ考えることができて面白そうだね。
 
 
で、精神と身はどっちが先にあるようなもんなんだろう??ってことは、哲学的なことでなくてもいろいろ話せそうなテーマだよね。
「自制心」という言葉は精神が先にあること前提な言葉っぽいよな。
「身体で始まる大人の恋愛しようや」は、細かいことうだうだ考えずにとりあえずセックスしてみろってことだから、精神先行の意味を持っているのだろう。
 
とはいえ、ぜんぜん好きでも好みでもない相手に思わず迫っちゃったりするよね。*2
そういうときって、大概、酒の勢いによるものだよね。
ということは……
 
精神より身体より、お酒が先行するものなのだ。(結論)

 

*1:うろおぼ

*2:僕は童貞なのでないけどな