アサヒ死ンブン

死骸ブログ

椎名林檎の「正しい街」を聴いて思うこと

僕がむかしフられた女の子は、福岡に住んでいた。

互いに知らぬ土地で知り合った彼女のもとへ初めて会いに行ったときも最後だったときも同じように新幹線のぞみの車内放送チャイムに合わせて「いい日旅立ち・西へ」を口ずさみ、やっとこついた博多駅の新幹線改札前で待ち合わせ、夢の天神を彷徨って、晩ごはんをごちそうしてもらうことで新幹線代と相殺ということにした。ほどほどに遊んでいるうちはよかったが、相手が自転車でホイホイ合いに行ける距離に住んでいないことに気づいたの互いにほとんど同時だった。鈍かったのだ。鈍かったということにして気づかないふりをして、互いに相手が都合の良いことを言いだすことを待っていたのだね。結局どちらも建設的なことを言いだすことがなく、さよならではなくまたねを告げたあの日の唇にはそののち何年経ってもまみえることがなかった。どこでもドアがあればよかったんだな。我々は数百年早く生まれすぎてしまったようだ。そんな若いころの虎馬のような思い出があるのもので僕はなかなか九州方面へ行きづらく、リンゴのツアーでは何度も福岡公演が催されているけれど、足が向かないのです。遠いしな。どこでもドアがあればよかったのだ。いまさら博多だろうが天神だろうがに行ったところで、なんともないのだろうよ。よもや虎馬の閃光返し(フラッシュバック)が起こってぶったおれるようなことなど、ありえないだろう。百道浜室見川も見ていないし、あの日の天神のイメージも、いまの梅田や横浜と変わらない。いや、そのときは夢中を歩いていたから街の特徴なんて目に入っていなかっただけかもしれないし、単に僕の視力の問題かもしれない。彼女のことも、もう、輪郭と下着の色くらいしか覚えていない。卒業したらどうするの、どこへ就職するつもりなの、ときいたときに、福岡から出る気は無いと言っていて「地元が特に好きなわけでもないけれど、他の土地に出てやりたいこともないから」と、僕もやりたいことはなく、大阪から出るつもりはなかった。移住しろよまたは移住してやるよを言って、なかば傲慢な類の愛を押し付けてやれば我々の未来も大きく変わっていたのだろうが、できなかった。人は若さゆえに過ちをおかすこともあれば、若さゆえに諦めることもある。あの日飛び出すことのほうが正解だったのだろうか。わからないけど、夢も恋もなかった。

椎名林檎のアルバム「無罪モラトリアム」の一曲目を飾る「正しい街」は、印象的なドラムイントロから始まる。自分の夢のために故郷と恋人から離れていく思いを描いた詞を、焦燥を感じさせる伴奏に乗せて駆け抜ける。リンゴの歌詞を自分の過去と重ねて聴き入った人も多いのではなかろうか。かつて選んだ別れの思い出、または、かつて自分の選ばなかったことへの後悔、今となっては振り返って思い返すことしかできない過去が駆け馬の幻燈のごとく映し出される一曲だと感じる。あの日の選択が正しかったのか、考えても正解はない。それでもなにが正解だろうかとふと考えてしまう、どうしようもない寂寥感が楽曲へ込められている。込められているよね?そんな寂しい気持ちを感じることをできる現在があるのは、別れることを選んだあの人との思い出があればこそのもの。思い出に正解がないからって、悪いものではないのだ。ないのだよ。ないよね?