アサヒ死ンブン

死骸ブログ

クソブログハラスメントについて

たまたま目に入ったので読んでみたのだ。ザザッとちょっとだけ、軽い感想を書きました。

www.goodbyebluethursday.com

 

小さい子供をむやみに連れ回す親は迷惑だ、子供にとっても良くないことである、度が過ぎる親のふるまいはベイビーハラスメントだ、というような趣旨のことを書いていらっしゃる。

なるほど筋は通ってる――

かに見えるじゃん?

 

でもさ、冷静に考えてみて、ここで書かれているようなベイビーハラスメントと呼ばれるほど酷い親の振る舞いを見た、あるいは迷惑をこうむっていると感じていらっしゃる人はどれだけいるんだろうか。

はたまた、乳幼児を無意味に連れ回し歩き回らせる親なんてこの世いるのだろうか。いやいない。*1

僕の感覚だと、「ごくごくまれに非常識な親御さんがいらっしゃいますよね」くらいのもんじゃねって思うんですけど。僕が『地下室の手記』の書き手の陰キャみたいに引き籠もりっきりだから世情に疎いのかしら。

 

「子育てをしていない人は、物を言う権利さえないのですか。」なんて書いているところがまったく的を得ていないことで、うーん、たとえば「僕童貞だけど、非処女はみんな淫乱だと思う」というような趣旨の記事を書いてほうぼうから文句を言われて、あげく「童貞は物を言う権利すらないのですか」なんて言っちゃうのと同じだよね。え、違う?僕童貞なんで難しいことわかんないや……

書いていることが、「想像上の親」ないし「ツチノコなみにレアな非常識な親」を、さも子連れの親一般にありがちなことであるかのような書きっぷりをしちゃってるから、「子育てについてなにも知らないんじゃないですか、なに知ったようなこと書いちゃってんですか」と指摘を受けているということでしょう。物言ってもいいけどもうちょい想像力働かしてみたら?世の子連れ親子の実態を知ったら?ってかんじかな。

 

「親の我慢できない欲望」だなんてご大層なことを書いていらっしゃいますが、そんな欲望のままに振舞っている親なんてどれほどいるのか? 子のいない人間だって、多くの人は社会のなかでわきまえたうえで自分のやりたいことをしているでしょう?

他人に迷惑かけてでも自分のやりたいことやるんだよ~なんて奴は、子のいるorいないに関係なく非難されるべきであって、あえて「親が」という書き方は論理的にオカシイ。「親」ではなく、「欲望を我慢できない人間全般について」と書くべきであって、論理的でないし現実的でもない。書き手が子供嫌いゆえに(かどうかは知らないけど)、ことさら親のふるまいに対して入れ込んだ書き方をしているように見える。

「もし世の中がベイビーハラスメントするような非常識な親ばかりになったらイヤだな」と思うような人は、ベイビーハラスメントという言葉に賛同するのかもしれないね。けどなぁ、なにがベイビーハラスメントにあたるだろうかなんて考えるより、子のいない人間が子のいる人間になにをしてやれるかを考えたほうがよっぽど世の中のためだと思うんだけど。

 

なんでこんだけ否定的なことを思ったかというと、「ハラスメント」という言葉を、「自分が嫌いで排除したいものへのラベリング」のような使い方しているのが気に食わないんだよね。

 記事へのコメントなんかで「子育てしてから言え」という突っ込みがたくさん入っているのは、主に、

「どうしても赤ちゃんを連れて行かなければならない」という状況は、そう多くないように思います。

と書かれていることに対して言いたいんだと思いますけどね。誰だってなにかしら必要があるから出かけてるんだろうよ。それらが全部、親の欲望の発露だとみなしちゃってるところに大いなる誤りがあると思うのだ。

「親のワガママで子供を連れ回している」という偏見から出発して、自分の気に食わないものをハラスメントだと名づけて、体よく排斥したいだけのように思えるんだが。違うだろうかね。極端なこというと、「子連れの親がなにかとうるさくて見たくなもない、家から出てきて欲しくもない。自分にとって嫌なものだ、ゆえにハラスメントだ」としているんじゃないか。

さらに、子のいる親に対して「ハラスメントになりうるようなことはするなよ」と言って、自分の目に入るところに出てこないでもらうことを強要したい。そんな意図が見え見えなのだ。不快感の理由はそれだよね。

においが気に入らないからスメルハラスメント、キモイ告白されたから告白ハラスメント、ルーザーさんがキショいことばっか書いているからルーザーハラスメント。いろいろあるけれど、本当になにもかもハラスメントなのだろうか。

ふたたび書くけど僕がこの記事で書いていることに否定的なのは、ハラスメントという言葉の濫用ではないかと思えること。ハラスメントだと言って他人を排斥する理由に あんま軽々しく使ってほしくねえよなあって思うがためです。気に入らないものを片端じから排斥した世の中がどうなるだろうかとか、あんまり考えていないのでしょうね。まぁ嫌いな奴にどっかいってホシイと思うのは人情だから、ちょっぴり同情はします。

「セクハラ」が流行語対象になって全国的に言葉が広まったのが1989年のことだそうで。その後、セクハラをめぐる裁判のなかで、男性従業員のイヤラシイ言動がもとで女性従業員の仕事に支障が出るレベルの場合をセクシャルハラスメントだと認めて、使用者側(雇う側)に是正の責任があるとされた、ということなのだけど。労働災害と同じ扱いだとされてね。それは、女性の側がずっと不当に我慢を強いられていたから出てきた概念であったはず。

それに対して、子連れ親子から不当な我慢を強いられている人はどんだけいるものか。もし仮に、本当に世の中の多くの人が子連れ親子のマナーについてなんとかあらためてもらいたいと感じているようであれば、そのとき初めてベイビーハラスメントだとか言っていいんじゃないかと思うんだけど。

って書いてて思ったんだけど、ハラスメントという言葉を使って嫌がらせをすることはハラスメントハラスメント、略してハラハラっていうのかな???わかんね~

 

 

ところで、実態がどうであるかに関わらず自分の気に入らないものについての幻想をブログに書き立てたり、人民を煽ったり、炎上ブログとか書いちゃったりするってがいまの世の中ではよくあることと思います。

そんなものを読んで嫌ァな思いをさせられることをクソブログハラスメントって呼ぼうと思うんだけど、どうでしょう。

ベイビーハラスメントはこの世に滅多にないことだと思うんだけど、クソブログハラスメントはそこらじゅうにあるよね!

全部消えねえかな!

*1:反語

青リンゴ日記

僕は椎名林檎のアイコーカなので、たまには真面目に林檎ネタの記事で攻めてみようと思う。

林檎っつっても赤と青があんじゃん、どう違うの? と思ってググったら、なんか収穫時期が違うことによって含まれる物質が違うために見た目の色も風味も味覚も変わってくるんだそうです。詳しいことは忘れたし、暗記してもモテそうな内容ではなかったので必要になったらまた調べればいいや。

今日は青りんごに絞って書きます。いつもこのブログをご覧の方にはおわかりかと思いますが、念のために申し上げておきますと、このブログは大人向けの内容を書いているんですよね。ですので、本日ご紹介するものも酒と煙草になります。

つっても、そんな大層なもんじゃないですね。お菓子でハイチュウの青りんご味とかあるじゃないですか。大雑把にいうとそれの酒バージョン・煙草バージョンってだけなんですけどね。知ってるとオシャレかも、程度のモンです。あと僕が個人的に好きってだけだな。「ルーザーさんとお揃いになりたい」ってこっそり思ってる女子には朗報かもしれないね、この記事。

 

ボスコープ

僕がむかしフられた女の子がこのお酒を教えてくれました。青りんごのリキュールですね。お酒の弱いルーザーさんでもソーダで割っただけで美味しく飲めるよって言って勧めてくれました。僕がこのボスコープのソーダ割りをチビチビ飲んでいる横で、彼女はテキーラを何杯も煽っていました。*1爽やかな青りんごの香りとともに飲めるので、夏に合っているかもしれない。ボトルもオシャレだよね。

 

アーク・ロイヤル アップルミント

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最後のキスはタバコのflavorがした!!青りんごの風味のする煙草。メンソールなので、ご留意のこと。アーク・ロイヤルのシリーズでは他にはコーヒーや紅茶のフレーバーのついているものが出ている。

禁煙者が肩身を狭くしている昨今、僕は煙草が好きだけど、別に滅んでも困らないかなぁ。そもそもイキりたくて吸い始めたわけでもなく、太古の大むかしに悶着があった末にフられた女の子が喫煙者だったからっていうだけのことで*2、カレシの影響で煙草を吸い始めちゃった女の子の逆バージョンみたいなものだし。煙草吸わなきゃ右腕が震えだしたりもしないのだ。こんな蝙蝠のような人間だもんで、銘柄で言うとゴールデンバットなんかが好きですね。僕は重たァい煙草か、甘ァい煙草が好きなのだ。でもオモチャみたいなので電子煙草はダイキライ。

もちろん煙草自体が害悪な毒でしかないってわかってんだけどね。気に入ったものがたまたま悪や毒だったってことは誰しもいろいろあると思うし。好きになった女の子が反体制テロリストだった、とかね、あるでしょう?*3 煙草が毒であることと、マナーの悪いゴミクズ喫煙者は抹殺すべきであることと、喫煙所で仲良くなった女の子にフられることは、すべて別問題なんだよな。ゴッチャにするからややこしくなるんだよ。

煙草がOKなんだったら大麻を合法化しろ!とか言っちゃうキチガイみたいな人なんてまさかこの世にいないとは思うが、もしもいたのなら、その理屈で言うなら同様に、煙草を禁止にするならツイッターも禁止しちまえよって思うよね。地獄だよ、ツイッターは。中毒性があるし、毒でしかない。思いませんか? 見ていたらイライラするだけの一方通行だよな。煙草よりよっぽど害悪だと思うよ。人類にツイッターは早すぎたのだ。

おっと、口がすぎたようだね。こういう無駄口を叩く人間の口をふさぐために煙草は存在しているんじゃないだろうかって思っているよ。この世から煙草が消滅したら、現実世界で物申すマンたちの口をふさぐ時間が減ったその分、人類の無駄口は増えるんだろうなァ。さだめし、かしましく騒々しい世の中になるのだろう。だから煙草は今しばらく滅ぶべきでないと思うんだよな。

そういえば僕は椎名林檎のアイコーカの端くれのくせに、セブンスターってあんまり吸ったことがありません。有名な曲の歌詞に出てくるので林檎好きイコール煙草はセブンスター、みたいな印象が強いようなのだけれど。*4むかしセブンスター・ソリッドっていうパッケージが黒くてカッコイイやつ、もらいものを吸ったくらいか。女の子からもらった気がするんだが、僕は薄情なので誰からもらったか思い出せません。

 

最後に青りんごの使い方をもうひとつ

もう何年も前のこと、モテようと思っていろいろ努力をしていたときのことです。そのときやっていたすべての努力は、終わってみれば結局ただ春の夜の夢のごとく無駄なものだったんだけど、それはまた別の話。

そのモテ☆プロジェクトの一環で、青りんごと白ワインでホットワインを作ったことがあるのだ。青りんごを砕くためのミキサーを買って、グランデュオ蒲田のお酒売り場の店員の女の子の笑顔に釣られて買っちゃった甘口白ワインを使って。赤リンゴでもよかったのかな? まぁ、白ワインだから色の系統が同じだろっていう安直な連想で青りんごを選んだんだな、たしか。白ワインに砕いた青りんごを注いで暖めるだけ。お好みで、シナモンで風味をつけてみた。料理のできない僕ですらすっごいオシャレにめっちゃ美味しくできました。

こんだけオシャレなもん飲んでたら秒速で彼女できるやろと思ったけど、結局そんな努力も風の前の塵に同じだったね。やっぱこの世ってクソだわ。青りんごを砕いたミキサーもあれ以来使っていない。 

*1:このフられた女の子のエピソードは、架空です。

*2:このフられた女の子のエピソードは、架空です。

*3:僕が過去にフられた女の子のなかに反体制テロリストはいなかったな。

*4:調べたわけでないのでアイコーカのセッター率割合は知らない。

バッドルーザー日記

僕のハンドルネームはもう十年ほど前から「ルーザー」なのだよ。英語で書くと「LOSER」すなわち、「負け犬」「敗北者」を意味している。あまりにモテなくて、フられ続けの負け続けな半生だったことが、その名の由来するところである。十年も使い続けているし、オフ会などでも覚えてもらいやすい名前なので、愛着はあるね。

誤解されたくないんだけど、いっつも暗いことばっか書いているせいか知らないけれど、「ルーザーさんいっつも死にたがっていますね」などと言われることがあるが、僕は一度たりとも死にたくなったことはない。この世界は地獄なのでなにをやっても負けているが、どうせ負けるだろうと決めつけてなにもやっていないわけではない。僕は敗北者ルーザーであって、敗北主義者(defeatist)ではない。

まぁそんなことはどうでもいいんだけど、このクソルーザーブログを始めてからもうすぐでひと月経つんですよね。「はてなブログ ルーザー」でググール検索したら検索結果は一面僕の記事なんだろうな~と思ったら、そうでもなかった。ではでは、ほかの人は「ルーザー」でどんなことを書いているのだろうかと気になっていろいろ見ていたら、面白いものがありました。

www.mapleheart.net

子育てにおいて、子供がゲームに負けたときの負けっぷりをどのように学ばせるか、ということを書いていらっしゃる記事なのだ。

これを読んでいると自分の子供時代のことを思い出してな。兄弟でしょっちゅうゲームをしていたが、ガキのころはバッドルーザーで負けっぷりが悪かった。負けたときにケンカになるだけでなく、思うように勝てないと不機嫌になる。大学生くらいになってもそんなだったな。まぁ、大学生だってガキだよね!ゲーセンの格ゲーで負けて台バンとかダセーよな。

そんな自分を顧みて、負けっぷりのバッドルーザーではいないように、こゝろを入れ替えたのだ。負けっぷりが悪くならないようにするひと工夫、勝てるor互角に戦える勝負しかしないこと、だ。負けたらブチキレそうになるから百人一首はやらないよ。

僕が好きな麻雀マンガで『天牌』という作品があるんですね。さらにその『天牌』本編の主人公の師匠・黒沢さんを主人公にした『天牌外伝』っていうスピンオフ短編集があるんだね。クソマイナーなまんがかもしれんが、こっからイイハナシになるのでちゃんと読んでね。『天牌』本編のほうは、麻雀キチガイが延々闘い続けているドラゴンボールみたいな内容なのだけど、こっちの外伝のほうは、ちょっと違う。人情ドラマ寄りな話が多くって、黒沢さんがいろんな人のゴタゴタに巻き込まれつつ、なんだかんだで麻雀して、たいていは黒沢さんが勝利して丸く収めて、「やっぱり黒沢さんはスゲエな」ってみんなが讃える落ちになるようなものなのだ。わりとワンパターンな落ちばかりだ。おっと、なんだかdisrespectしたような書きっぷりになっちゃったけど、面白いんだぞ。読んでると麻雀打ちたくなってくるもの。読むだけですっげー強くなった気になれるしな。でな、その黒沢さんは負けっぷりがたいへん綺麗なのだ。あのまんがを読めばグッドルーザーの極意が学べるんじゃないかなと思う。「俺はどんな素人さんと打つときでも『教えてもらう』姿勢を忘れたことはねえ」みたいな、せりふうろ覚えだけど、そんなことも言っていた。この心構えは覚えておきたいですね。

 たまに「人生で大事なことは全部まんがから学んだ」みたいな間抜けな標語を見かけますが、いったい何が学べるというんだ? 僕はまんがから人生の大切なことなんてなにひとつ学べねーよと言いたい主義者だったんだけど、いくつか例外はできて、まず負けっぷりについては少なからずこのまんがから学べることがあったと思う。

「○○したら負け!」という言説は世に数多ありますよね。そういうこと言ってる人たちがそのルールのなかで勝手に勝ったり負けたりしてるぶんにはどうでもいいんですけど、ルールの押し付けるのはやめてホシイですね。負けっぷりよくひとりで負けててくれよ、勝手に勝って勝者の驕りみたいなもん見せられてもなァ……。勝っても負けても綺麗でありたいね。

 

勝負事とは違うけど、人間関係のケリの付け方ってのもグッドルーザーを目指すべきことだと思うのだ。僕はいままで負け続けの人生だけれど、かつてフられた女の子たちとも今でも大切な友達として連絡を取り合って……

取り合って……

あれ、思い返したけど全然取り合ってないわ、ほとんど音信不通の連絡先不明だわ。
僕はバッド・ルーザー、そしてこの世はインヘルノ*1

*1:地獄

夏祭り(JITTERIN'JINN)を聴いて思うこと

わしがいた夏は遠い夢のなか!!

うぇ~い、みんな夏☆満喫しているかな? していないよね。していたらこんなクソブログは見に来ていないはずだ。ジッタリン・ルーザーの名推理だよ。かくいう僕も夏☆満喫などしていない。会社の奴隷には一週間も夏休みを取ることなどできないのだよ。あなたがわたしにくれたもの、法定未満の残業代。あなたがわたしにくれたもの、ゆめまぼろしの夏休み。

ところで、先日の世論調査で、なんとこの世界のおよそ六割弱の女のコが僕と一緒に打ち上げ花火を見に行きたがっていることが判明いたしましたッッッ

勝利ですね。「ルーザーさん、一緒に花火見に行きましょう」なんて誘われたことは一度足りともないけれど、きっとみなさんシャイガールなのか、もしくは互いに牽制しあっているのでしょうね。僕はみんなのものだからケンカしないで!!

夏祭り、いい曲ですよね。ジッタリンジンのライブ動画を見ていると楽器をやりたくなってくるよ。シンプルな編成で、ギターの音は軽やかで、ドラムが心地よく、歌いながら振りがついている。見ていて楽しいのだ。

僕がむかしフられた女の子はバンドマンで……あれ??バンドやってる女の子ってバンドウーマンか??

まぁその、バンドウーマンってやつで、そのコがコピバンで「夏祭り」を歌っていたのを聴いて夏祭りが隙になったんだかそのコが好きになったんだか、どっちが先だからわからないけど、高校生の恋愛パターンの王道だわな。文化祭の定番曲ですものね。しかし、結局、住んでいる文化圏が違いすぎたんだ。一緒に打ち上げ花火を下から見ることも横から見ることもなく、神社のなか石段に座ることもなかった。アルトリコーダーすら満足に吹けない僕はしょせん舞台に上がれぬいちオーディエンスであった。想い出は万雷の喝采の彼方に置いてきた。ずっと一緒なんてなぜ信じてしまったんだろう?少しも疑わず夢を見た。もうバンドマンに、否、バンドウーマンに恋なんてしない。あれ、ジッタリンジンの話してたのに、いつの間にかゴールデンボンバーになっちゃった。それでは次回はゴールデンボンバーが好きだった女の子にフられた話をします。*1

*1:これらのフられた女の子のエピソードは、もちろん架空です。

もう着いてるよ(≧◇≦)

女の話をしよう。

他人のこころの機微に疎いルーザーがまた女の子を困らせ、怒らせ、泣かせた物語です。これは懺悔録です。


「もう着いてるよ(≧◇≦)」

「待ってるけど、どこ?」

「はぁ…返事もくれないし、まだ遅刻癖直ってないんだね。私は別にいいけどさ、女の子待たせるって最低だぞ(*´ -`)」


ある土曜日の昼下がり、携帯に届いていたメールを見て愕然とした。女の子から連絡が来ていたのに、お昼寝していてすっかりスルーしてしまっていたのだ。

メールの内容は上記の通り。待ち合わせをすっぽかして女の子を待たせるという、人類最悪の所業を犯してしまいました。しまったしまった島倉千代子

僕は生まれてこのかた女の子とのデートには九割がた遅刻したことはないし、ましてすっぽかしたことは一度たりともないはずなのだが、どうやらこのメールの女の子とは知らないうちに遊びに行く約束をしていて、それをすっかり忘れてしまっていたようなのだ。いよいよもうろくしたか。

ここで、「モテないルーザーに女の子から連絡が来るわけないジャンwwwww」なんて思っちゃう不届き者が万が一にもいらっしゃるかもしれないので、メールの証拠を添付しておきます。

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僕のメールアドレスは東京事変の曲名から取った御祭騒ぎですからね。どうです、僕にだって女の子から連絡くらいくるんですよ。どや。

しかし、どうしようか。困ったことに、メールをくれた相手が誰かわからない。アドレス帳に登録がないのだよ。なんでや。酒の席で連絡先を伝えてその後登録していなかったパターンだと考えられるよね。困った困ったこまどり姉妹


「おーい!!会社のタブレットからだからわからないかもだけど、陽菜だよ(*^^*)自分で呼んだのに無視ってどゆこと??」


そうこうしているうちに、追撃がきた。女の子が怒ってる……どうしよう……オロオロ。でもでも、一歩前進、やっと相手が誰だかわかりました。ヨーナちゃんか!な~んだ、ヨーナちゃんだったのか。忘れないようにアドレス帳にシッカリ登録しておかねばなりませんな。

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ゴウ・オーヴァー・ザ・レインボウ@ブルーワールド・イノヴェーション・ライフ・ドットコム

すなわち

虹を越えてゆけ@青蒼世界革新生命ドットコム

すげえ、カッコイイメールアドレスだな、ヨーナちゃん。ところがね、んー、ヨーナちゃんが誰だかわからねえんだ……どこで知り合った人なんだろう……んー、こころあたりがありすぎてわかりません……


「どうしてもって言うから時間作ったのに…私だって暇な訳じゃないんだよ。無理になったなら無理になったで連絡くらいしてくれてもよくない?(;'∀')」


ごめんね、ごめんね、本当に申し訳ないと思っている。せっかく時間を作っていただいたのに、フイにしてしまいました。謝罪のメールを送らなきゃ……


「もう帰るからさ、今後ぜーったい連絡もして来ないでね?約束だよ!!」


あぁ、嫌われちゃった。わかった。こころのなかで約束しました。もう連絡しないよ。それがケジメだ。だから、いままでのメールにもひとつも返信していない。女の子のこころを弄んでしまった罪と罰。ヨーナちゃんとの関係はこれっきりにしよう。グッド・バイ。太宰治言うところの、現代の紳士淑女の別離百態のひとつだね。さよなら。

 

と思って放っておいたらね、翌日またメールが来たんだ。

 

「ねぇ!昨日来なかったのに私の不在中に会社に連絡するとか意味不明過ぎ(*_*)何でこのメールを無視するのに会社に連絡するの?も普通逆でしょ??」

 

ははーん、読めましたよ。この女、ワガママ言って僕の気を引こうって魂胆なんだね。そうは問屋が卸しませんよ。ガキくせえことを言っていないで、もっと大人の対応を学んでくれ。僕は女に弱いのでワガママ言われるとチョロいけど、この手の姑息な手口はキライなのだ。オオアリクイに主人を食い殺された未亡人からのカラダの関係を求めるメールくらい、大胆で真摯な内容の連絡をいただきたいものです。というわけで、このときメールを送ってきた女とはなにごともなかったことを、ここにご報告申し上げます。

(このクソブログは、カップラーメンを作るためのお湯が沸くまでの時間つぶしのために書かれました。)

椎名林檎の「今」を聴いて思うこと

僕は小説家なのだけどいっこも小説が書けないので、副業でSE*1をしているかたわら、人理継続保障機関「カルデア」で人類史を正す戦いに身を投じている。それは未来を取り戻す物語!現在、夏の水着イベント真ッ只なかだ。

自分が過去に書いていたmixi日記を読み返すと、あぁこんな面白いこと書いてたんだな、これを書きなおしたいなって思うエピソードがいろいろ見つかるのだ。むかしのほうが僕は感性が豊かだったんじゃないか。いろいろ感情をブチまけて書いていたじゃないか。ギャグも冴えている。そう思ってついついむかし書いていたことをブログにリライトしちゃいたくなるんだけど、そっちに頼ってちゃダメだよなって思って我慢するようにもしている。新しい文章ってのは無理やりにでもひねりださないと書けないものだね。過去の焼き直しばかりでは新しいことは書けないって、小説を書けない小説家だけどわかってきたよ。

過去に書いた文章があり、これから書かれる未来の文章があることを考えたときに思い浮かぶのは、やはり愛する女*2のことである。アルバム『日出処』の「」を初めて聴いたのが*3、発売日にアルバムを買いに行ったときのこと。忘れもしない皇紀2674年*411月5日、ところは東洋の魔都としてあまたの陰謀渦巻く帝都大田区蒲田のTSUTAYAだった。まわりのアイコーカどもは死武矢だと死ン塾だの栄えた町のタワーレコードで購入していたようだが、当時奴隷階級だった*5僕には蒲田で買うほか自由はなかった。そしたらそのTSUTAYAがね、新譜のアルバムを店内でリピートしているわけだな。ウキウキしながらスキップして行ったら、ちょうどお店でかかっていたのが「今」だったんだ。おっと、まだ聴きたくないぞ!おうちに帰ってからじっくり聴きたいんだ。今じゃない、今じゃない、いや、曲は今だけど、聴きたいのは今じゃないんだ、嗚呼、なんて美しいの、って感じで、耳をふさぎながら買ったのは良い思い出です。

過去と未来という対立するふたつの抽象的な概念と、そのふたつが接する情景である"今"を、言葉だけで色彩までもイメージさせながら描き出しているこの曲の歌詞は、現代詩の最高峰に位置しているのではあるまいか?と思っているんだけど、僕は現代詩を研究したことがあるわけではないので、この件をどこかへ訴え出たりはしていない。まぁその、個人的にスッゴいツボだったというわけだ。最高峰かどうかはわからんが、歌詞の短いフレーズから聴き手が莫大な情景・ストーリーを呼び起こせるのだから、優れた詩であることは疑いあるまい。僕のような無能な小説家は情景を描写しようと思うと無駄に言葉数を増やしがちなのだよな。抽象的な観念について書くときなんて特にそうだよ、無駄な言葉を書き連ねちゃアカンねん*6

歌詞の内容について、ふたつの相反する要素が溶け合う情景を描いた見事な内容であるという点でもう一曲、「天国へようこそ」日本語版のことも書きたいのだが、これはまたこんどしよう。僕はアイコーカのくせに、いっつもこの曲のタイトルが「天国ようこそ」だったか「天国ようこそ」だったかわからなくなる。不出来なアイコーカは地獄へようこそってかんじだよな。

 

むかし僕がフられた女の子は未来人だった。

いや、涼宮ハルヒのみくるちゃんみたいに未来から来た人間だという意味ではなく、なにかにつけて未来志向だった、ということである。今これをやっておけば後で役に立つから、今努力しておけば後で役にたつから、そうやって今この瞬間をより良い未来へと結びつけたがる人だったのだ。今ただしくあることが明るい未来へと繋がっているのだ、と。一方で僕は見ての通り過去に囚われた人間なので、リンゴの歌詞のごとくいつも黒々と澱んでおり、こんな冴えない今があるのは過去が冴えなかったからだ、ダメな過去だったからダメな今なのだと思っていた。このように今の捉え方が正反対な明るすぎる彼女と暗すぎる僕の生活はお互いの向き合い方の陰影をはっきりと浮かび上がらせ、当たり前のように別れを迎えたわけだが、暗黒のルーザーは眩しい彼女へ大いに憧れていたところがあり、フられた直後は「いつ死ぬの?今でしょ」って思うくらいにはツラかった。こんなことを思い出しながら今書いているこの新しい文章は果たして過去を向いているのだろうか、未来を向いているのだろうか。*7

*1:システムエンジニア

*2:椎名林檎

*3:英語版は前年の党大会で聴けたけどもね。班大会?そんなものは無かった

*4:2014年

*5:今もだよ

*6:観念・アカンねん、っていうダジャレ

*7:このフられた女の子のエピソードは、もちろん架空です。

椎名林檎の「いろはにほへと」を聴いて思うこと

2013年の5月27日が椎名林檎のシングル『いろはにほへと』の発売日だったわけですが、当時ゲットして聴いたときにそのあまりの名曲っぷりに感極まったのでしょう、2013年5月28日の零時52分に書いていた僕のmixi日記がクソウザかったので、文章はほとんどそのままにリライトします。マジメな人に刺されそうな内容でした。こういう芸風のギャグなのだと思ってご寛恕のほど、伏してお願い申し上げます。
みなさん2013年5月27日にタイム・リープした気持ちで読んでください。

 

 

もう日付が変わっちゃったけれど、5月27日はりんりん(椎名林檎の新曲発売日だよ!!
みんなもうお手元に揃っているかナー??100枚買っても握手券は一枚も入っていないぞ☆ 林檎総選挙があるならば僕は1,000枚買って1,000票入れるところでしたが、そんな予定はないようなので一枚しか買っておりません。

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『いろはにほへと/孤独のあかつき
5月27日発売
TOCT-40420 1,000円(税込)

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オフィシャルMVがこちらからご覧いただけます。


椎名林檎 - いろはにほへと

MVはこんこん!!
りんりんにこんこん!!

死にますね。
死にます。
もう死にます。
林檎地獄の一丁目


CDのクレジットを見たんですけど、イザワ?イサワ?どっちだか忘れましたが、そのイザサワさんっていう人がチェンバロの演奏をしています。むかし「東京事変」っていうバンドの鍵盤奉行だった、捨てられた子犬みたいな瞳をしたニーチャンです。なんだか懐かしい友人の名前を見た気分だよ、イザ…サワさん。

みなさんチェンバロっていう楽器を知っていますか。見た目はピアノっぽいんですけど、チャリーンチャラリーン(!?)っていう音がするんです。ピアノは鍵盤を押した時に体内の弦をハンマーで叩いて音を出すんですけど、チェンバロは爪で弾くんですよね。(←あってる?赤ペン先生、添削4649(よろしく))

<ご参考>


P. Royer. La Marche des Scythes. Yago Mahúgo, Harpsichord.

ジョゼフ・ニコラ・パンクラス・ロワイエの「スキタイ人の行進」
演奏は知らないオッサン。この曲、ヤバいくらいカッコイイですよ。

アニメオタクのみなさんには、新世紀エバーゲリオン(旧)劇場版のエンディングのコレ、パッヘルベルの「カノン」のほうが馴染みが深いでしょうか。


パッヘルベル カノン

僕はチェンバロが大好きなんですよね。なにより音が良い。そして旧い楽器にはその時代の誇るべき装飾が施してあって、見た目が非常に美しい。ピアノみたいに音の強弱をつけられないとか、ペダルがついていないとか、音量もピアノより小さいとか、デメリットもあるそうですがそういうのは全部どうでもいいです。貴族になって立派なコンサートホールとチェンバロを所有して、毎晩将来有望な若手音楽家たちにタダで演奏会を開かせてやりたい。そんな僕の小さな夢すらかなわないこの世は地獄だ。

 

今年*1の5月27日新曲は発売とともに椎名林檎のデビュー15周年の日なんですよ。(ですよね?) 普段からアタマがリンゴッパーな林檎ヲタクのみなさんが輪を掛けてパッパラパーの御祭騒ぎですが、クールダウンしてくださいよ。徳川幕府は260年続いたんですから、僕は15周年くらいでは動じません。紋付袴の出で立ちで、震えながらこの日記を書いているので説得力もないですけどね。まぁ僕はみんなほど御祭脳(スイーツ)ではないので、玄関に立てた門松も明日には片付けます。

以上、じゅげむじゅげむ五劫の擦り切れ、椎名林檎の新曲レビューをお送り致しましたッ!!

 

 

……だってよ。タイムリープはオシマイ。未来で待ってる。どうでしたかクソ日記。

曲のレビュー、してたか?いや、していない。*2

僕がむかしフられた女の子は、テーブルマナーにちょっびっと抵触するくらいの不作法をしただけでいちいちお小言を言ってくるくらい生真面目だったから、僕の書いたこんなノリの日記なんかも大嫌いだったんですね。まだ学生のときだったのでSNSもろくにやっておらず、この日記のようなものが目に触れたことはないのだけど、読まれていたらさぞかし憎まれていただろう。当時の僕の普段のしゃべりかたや性格はいまと変わらずだもんで、しょっちゅう怒られていた。「そんなんじゃ社会にでてから苦労するよ」って、ものすごくキツく言われ、その度にヨケーなお世話だよって思っていた。結局どれだけ叱られてもふざけた性格は矯正されることなく、大喧嘩のすえ破滅的な別れを迎えました。あの時にヨケーなお世話だと思わずにもっとマジメな文章が書けるように努力していれば、いまとはまったく違った人生を歩むことになっていただろうか。こんなふざけた日記を書くとき、いつもそんなことを思ってしまうのです。*3

*1:当時、2013年のこと

*2:反語

*3:このフられた女の子のエピソードは、もちろん架空です